「切腹最中」 こんな恐ろしい名前の最中をご存じでしょうか。 「切腹」って、あの切腹です。 東京の新橋駅から歩いて10分。 主人の会社の近くにある老舗和菓子店「新正堂」 「新正堂」は大正元年創業。 今年で創業112年の老舗和菓子店です。 忠臣蔵の起源と言われる赤穂藩主浅野内匠頭が切腹した 田村邸跡に... 続きをみる
信念のブログ記事
信念(ムラゴンブログ全体)-
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ラグビー元日本代表で2021年に現役を引退した五郎丸歩さん。 ”五郎丸ポーズ” で話題になりましたね。 2015年のW杯では歴史的勝利を挙げた南アフリカ戦でトライを決めるなど、 日本のラグビーをけん引し、世界の扉を開いてきた五郎丸歩さん。 チームの中心選手だった五郎丸歩選手を支えていた言葉は、 「... 続きをみる
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9月27日午後、東京・日本武道館で 安倍晋三・元首相の国葬(国葬儀)が営まれました。 友人代表として菅義偉前首相が追悼の辞を述べました。 「あなたは、日本にとっての、真のリーダーだった」 「あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした」と、しんみりと惜別の言葉を述べました。 追悼の辞の最... 続きをみる
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明治期の慈善事業家の石井十次(1865年 ~1914年)は 医学生として研修中、 生活に困窮する子どもたちを預かったことから医師を断念し、 キリスト教精神に根ざした岡山孤児院を創設しました。 孤児救済に捧げたその功績から、 「児童福祉の父」と言われるそうです。 安倍晋三内閣総理大臣(当時)が 20... 続きをみる
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大切にしている一枚の暑中見舞いの絵ハガキ。 差出人は久しく忘れていた青年からいただいたものでした。 彼はとても礼儀正しく、 物静かな人でありましたが、 内的な心にはエネルギッシュな強いものを秘めていました。 ハガキには涼しげな風鈴の絵が書いてあり、 こんな言葉が書いてありました。 もし、あなたが負... 続きをみる
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自分の身体を支えてくれるもの・・・ それは、「杖」「ステッキ」「護法の杖」「ピッケル」・・・。 しかし、自分の心を支えてく... 続きをみる
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「清く、正しく、美しく」をモットーとする宝塚歌劇団に、 ある日突然貼り出された、25の戒めがあったそうです。 その名も「ブスの25箇条」。 元宝塚歌劇団男役トップスターで、 現在は女優として活躍する貴城けいさんが、 「ブスの25箇条」を著書に著しています。 <ブスの25箇条> ・笑顔がない ・お礼... 続きをみる
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「どうぞこちらに入って」 まったく見知らぬご婦人が、 雨に濡れて軒先で雨やどりしている私を 自宅に招き入れてくださった。 東京のど真ん中、新宿にも、 こんな優しい方がいらっしゃった。 というより、私もかなりずうずうしい。 彼女は、今年8月で81歳になると言っていた。 しかし、どう見てもしっかりした... 続きをみる
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イスラム教の開祖マホメットは、 ある日こんな宣言をしました。 「自分が山をここへ呼んでくるから、 〇〇日に、この場所に集まれ」と、 民衆はマホメットが奇跡を起こすところが見たくて、 たくさん集まった。 いざその日が来たとき、 マホメットは山に向かって、 「お~い山、こっちへ来い!」と叫んだ。 山は... 続きをみる
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冬季五輪北京大会が2月4日に開幕され、 コロナ厳戒の中、熱き闘いが開始しました。 我が家では、2月1日から、 孫たち(長女と次女の息子)の中学受験の 緊張の闘いが始まっていました。 一人は、3校を受験して、第一希望を含めた2校に合格。 ところが、一緒に頑張っていた、もう一人の孫は 一校だけに狙いを... 続きをみる
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1934年12月、 アメリカコネチカット州のヘレンケラー宅に、 1人の盲人の日本人男性が訪れた。 彼、岩崎武夫は視聴覚障害者の救いの道を開くために、 「日本に来てほしい」とヘレンに切願した。 ヘレンは心を動かされたが、 直ぐに行けない事情があった。 恩師であるサリバン先生が 瀕死の床にあったからで... 続きをみる
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一寸先も見えない濃霧の中を車で走ったことがありますか? 私達は、長野県白樺高原に向かう高原の道を、 子供や孫たちを車に乗せて走っていた。 昼間であれば、美しい高原の風景と風を切って 走り抜けるはずであった。 しかし、その日は真夜中。 突然、車は霧に囲まれた。 次第に濃霧に変わっていき、先が見えない... 続きをみる