天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

尽しし人は先立ちぬ~菅義偉元首相の追悼の辞~


9月27日午後、東京・日本武道館で
安倍晋三・元首相の国葬(国葬儀)が営まれました。


友人代表として菅義偉前首相が追悼の辞を述べました。


「あなたは、日本にとっての、真のリーダーだった」
「あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした」
と、しんみりと惜別の言葉を述べました。


追悼の辞の最後に
安倍元首相の机の読みかけの本に

マーカーで線が引かれていたという
明治の元勲・山縣有朋が盟友・伊藤博文を銃撃で失った後に詠んだ詩を紹介し、菅前首相は締めくくりました。



この追悼の辞に、たくさんの人が感動し涙しました。


<友人として追悼の辞をされた菅義偉元首相>



<追悼の辞に涙する昭恵夫人>



~追悼の辞全文~


7月の、8日でした。

                                              信じられない一報を耳にし、

とにかく一命をとりとめてほしい。

あなたにお目にかかりたい。

同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、

そして、あなたならではの、

あたたかな、ほほえみに、

最後の一瞬、接することができました。


あの、運命の日から

80日が 経た ってしまいました。


あれからも、朝は来て、日は暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、

高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。


あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情でも過ぎていくことに、

私は、いまだに、許せないものを覚えます。


天はなぜ、よりにもよって、

このような悲劇を現実にし、

いのちを失ってはならない人から、

生命を、召し上げてしまったのか。

口惜しくてなりません。

悲しみと、怒りを、交互に感じながら、

今日の、この日を、迎えました。


しかし、安倍総理……と、お呼びしますが、

ご覧になれますか。


ここ、武道館の周りには、花をささげよう、

国葬儀に立ちあおうと、

たくさんの人が集まってくれています。


20代、30代の人たちが、少なくないようです。

明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、

あなたを見送りに来ています。


総理、あなたは、今日よりも、

明日の方が良くなる日本を創りたい。

若い人たちに希望を持たせたいという、

強い信念を持ち、

毎日、毎日、国民に語りかけておられた。


そして、日本よ、日本人よ、

世界の真ん中で咲きほこれ。

これが、あなたの口癖でした。


次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、

初めて、経済も成長するのだと。


いま、あなたを惜しむ若い人たちが

こんなにもたくさんいるということは、

歩みをともにした者として、

これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。

                                               平成12年、日本政府は、

北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ2回の議員でしたが、

「草の根の国民に届くならよいが、

その保証がない限り、

軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、

自民党総務会で、大反対の意見をぶちかましたところ、これが、新聞に載りました。


すると、記事を見たあなたは、

「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。

北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、

一緒に行動してくれればうれしい」と、

そういうお話でした。


信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、

その後の私自身の、政治活動の糧となりました。


その、まっすぐな目

信念を貫こうとする姿勢に打たれ、

私は、直感しました。

この人こそは、いつか総理になる人、

ならねばならない人なのだと、

確信をしたのであります。


私が生涯誇りとするのは、この確信において、

一度として揺るがなかったことであります。


総理、あなたは一度、持病が悪くなって、

総理の座をしりぞきました。

そのことを負い目に思って、

2度目の自民党総裁選出馬を、

ずいぶん迷っておられました。


最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、

私は、一生懸命、あなたを口説きました。

それが、使命だと思ったからです。


3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。

私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、

いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。


総理が官邸にいるときは、

欠かさず、日に一度、気兼ねのない話をしました。

いまでも、ふと、ひとりになると、

そうした日々の様子が、まざまざと、

よみがえってまいります。


TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、

私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。

総理は、「タイミングを失してはならない。

やるなら早いほうがいい」という意見で、

どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。


一歩後退すると、勢いを失う。

前進してこそ、活路が開けると

思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった。

                                                      安倍総理。

日本国は、あなたという歴史上かけがえのない

リーダーをいただいたからこそ、

特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、

すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、

確固たるものにはならない。

                                                      あなたの信念、そして決意に、

私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。


国難を突破し、強い日本を創る。

そして、真の平和国家日本を希求し、

日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする


そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、

総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった

いつも、まわりの人たちに心を配り、

優しさを降り注いだ。


総理大臣官邸で共に過ごし、

あらゆる苦楽を共にした7年8か月。

私は本当に幸せでした。


私だけではなく、すべてのスタッフたちが、

あの厳しい日々の中で、

明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。


何度でも申し上げます。

安倍総理、あなたは、

我が国、日本にとっての真のリーダーでした。                             


衆議院第一会館、1212号室の、あなたの机には、

読みかけの本が一冊、ありました。

岡義武著「山縣有朋」です。


ここまで読んだ、という、最後のページは、

端を折ってありました。

そしてそのページには、

マーカーペンで、線を引いたところがありました。


しるしをつけた箇所にあったのは、

いみじくも、山縣有朋が、

長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、

故人を 偲しの んで詠んだ詩(うた)でありました。

                                                      総理、いま、この詩(うた)くらい、

私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。


「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

 

「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」


深い哀しみと、寂しさを覚えます。

総理、本当に、ありがとうございました。


どうか安らかに、お休みください。

                                         令和4年9月27日                                                                   前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉 



参考抜粋:産経新聞