天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

屈するなかれ~石井十次と安倍晋三~


明治期の慈善事業家の石井十次(1865年 ~1914年)は
医学生として研修中、
生活に困窮する子どもたちを預かったことから医師を断念し、
キリスト教精神に根ざした岡山孤児院を創設しました。


孤児救済に捧げたその功績から、
「児童福祉の父」と言われるそうです。


安倍晋三内閣総理大臣(当時)
2016年、第190回国会における施政方針演説の中で
石井十次の功績に触れて、
安倍晋三首相自身の信念を述べていました。



「いのちの言葉」(浅川勇男著)の中の
『為(な)せよ屈するなかれ』

石井十次の生涯と安倍晋三元首相を
次のように書いています。


明治時代、3000人の孤児を救い、                                   社会福祉の道を開いた男がいた。

1865(慶応元)年、宮崎県高鍋町で生まれた   石井十次である。

                                                   岡山でキリスト教に入信し、孤児院を始めた。

1891年(明治24年)に愛知県で大地震が起こり、                                 多くの子供たちが震災孤児となった。

                                                       石井は彼らを救済しようとしたが、                                     運営も厳しい状態だった。

その時、孤児院の子供たちが

裁縫やマッチ作りで蓄えたお金を                           彼らのために捧げた。

石井は号泣した。

                                                     その後、孤児の数は増え続け、200人を超えた。

そして、東北地方に冷害が発生し、                                   たくさんの孤児が生まれた。

彼らを救おうとしたが、                                           すでに資金も施設も限界を超えていた。

更に、彼自身が腸チフスで重体に陥ってしまう。

                                                    だが、闘病の中で夢をみた。

イエス・キリストが大勢の孤児たちを入れた                かごを背負っていて、                            石井が孤児たちをかごに入れていたのである。


「孤児を背負っているのは私ではなく、                                      イエス様だったのだ。

私はイエス様の手伝いをすればよいのだ」


孤児の数はついに1200人になった。                                         孤児一人を養うのに一か月5万円、                                    毎月6000万円を要した。

石井はこの苦難に「挑戦」し続け絶叫する。

                                                     「信じて疑うことなかれ、祈ってうむことなかれ。                                     為(な)せよ、屈するなかれ。

時重なれば必ず為さん」

                                                        石井の「挑戦」が奇跡を起こし、                                        市井の人々や財界人が支援に乗り出した。

やがて、宮崎県にある茶臼原にある広大な土地に木寺院を移し、                           自然共生と自立の環境を整えた。

孤児たちが開墾した、20ヘクタールのとちに桑30万本を植え、                              池には鯉1000匹を放流した。

彼が夢見た一大理想郷を建設しようとしたのである。

                                                     しかし病魔に侵された肉体は

すでに限界を超えていた。

1914(大正3)年1月30日、                                       岡山に住んでいる娘夫婦より電報が届いた。

                                                       それを読んだ人が泣きながら呼びかけた。

「石井さんよかったね。

あれほど願っていた孫が誕生したよ」

わずかにほほえんだ石井は

48年の無私の生涯を閉じた。

                                                          

その102年後、石井十次の信念を

骨格に据えた政治家がいた。


安倍晋三内閣総理大臣(当時)である。

2016年、第190回国会における施政方針演説で・・・。

                                                    

「日本で初めて孤児院を設立した石井十次は、                                 児童福祉への『挑戦』にその一身を捧げました。

たくさんの子供たちを立派に育て上げ、                                    社会へと送り出しました。

孤児がいれば救済する。                                             天災の度に子供の数は増えて行きました。

食べ物が底を突き、何度も困窮しました。

コレラが流行し、自らも生死をさまよいました。

しかし、いかなる困難に直面しても決して諦めなかた。

強い信念で児童福祉への『挑戦』を続けました。                                                      『為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん』・・・」

                                                       この安倍の演説を通じて、石井十次の名は                                    より多くの日本国民へと知られるようになった。



「天は父なり 
人は同胞なれば互いに相信じ相愛す可きこと」

~石井十次~


<東北の冷害で行き場を失った孤児を救済し、                                 1,200名を収容した「岡山孤児院」の様子 Ⓒ石井記念友愛社>



<映画化された「石井のおとうさんありがとう」(監督・山田火砂子)>



🌸出典:「いのちの言葉(浅川勇男)」Sunday世界日報