天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

危ない橋を渡る

(落ちない花・合格の花:マーガレット)


親も子も額に鉢巻して頑張る受験シーズン。
滑り止めに3、4校を受験するという凄まじい闘い。


娘の受験を通して私のドキドキの体験を紹介します。


娘が受験しようとした学校は、
彼女の能力では非常に厳しいものでした。
にもかかわらず、娘はその学校以外を希望しませんでした。


もし失敗したら、高校浪人・・・。
「仕方ないじゃない」と娘は言うけれど、
本当にしかたないね。


その当時、この学校は、もし不合格になっても、
その日のうちに二次試験の手続きをすれば
後日、再試験を受けられるシステムになっていました。


ところが、この受験日と、
私がいつ帰れるかわからない海外宣教に
出発する日と重なっていました。
だから二次試験の準備もしてあげられず、
娘は絶対に一発で合格しなければなりませんでした。


危ない橋を渡ったのです


「必ず合格する」と信じて
私は成田空港を出発しました。
娘の一生に関わることを、
祈ってあげることしかできない私は
娘に対して申し訳ないと思いました。


日々の生活の中で、
難しいと思ってしまう時、
心が負けそうになるとき、
弱気な私に厳しい活を入れてくれる言葉があります。


ナポレオン・ヒルの言葉です。


もし、あなたが負けると考えるなら、

あなたは負ける。


もし、あなたがもう駄目だと考えるなら、

あなたは駄目になる。


もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅で、

無理だと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。


もし、あなたが失敗すると考えるなら、

あなたは失敗する。


世の中を見てみろ、

最後まで成功を願い続けた人だけが

成功しているではないか。


すべては「人の心」が決めるのだ。

もし、あなたが勝てると考えるなら、

あなたは勝てる。


向上したい、自信を持ちたいと、

もしあなたが願うなら、

あなたはその通りの人になる。


強い人が勝つとも限らない、

すばしこい人が勝つとも限らない。 


「私はできる」そう考えている人が

結局は勝つのだ。


(アメリカの大富豪、ナポレオン・ヒルの名言)

アメリカに到着してから二日後、
娘から連絡がありました。


「お母さん、合格したよ!」

大谷翔平の快進撃のヒミツとは?~目標達成表~

2021年流行語大賞・年間大賞は、
大谷翔平さんの大活躍を表した
『リアル二刀流/ショータイム』


その選考理由とは?
大谷選手は先発投手と指名打者を兼ねる
「二刀流」
大谷選手がバッターボックスに立つと解説者が叫ぶ。
「イッツショー(翔)タイム!」


本塁打46本、投手としては9勝と投打ともにトップクラスの成績を残した。
この活躍が認められ、アメリカン・リーグの年間MVPも受賞している。
大谷選手の活躍は、コロナ禍で暗く落ち込んだアメリカだけでなく、
日本にも、明るい話題を提供した。


2回の手術でも「二刀流」を決して諦めなかった。
ここまで投打両面で衝撃のパフォーマンスを披露し、
全米にセンセーションを巻き起こした
彼の成功のカギとはいったい何なのか?


「自分ならできる」これが快進撃のヒミツ。
それは「自己肯定感」の高さだと、
臨床スポーツ心理学者の児玉光雄さんは分析する。


「自分ならできる」というポジティブマインドは、
何もプロスポーツ選手だけに重要なわけではない。
多くの人は自分の能力を過小評価して、
「これは私にはできない」と最初から諦めてしまいがち。


しかし、自己肯定感を高く持ち、
「大丈夫、私ならこの壁を乗り越えられる!」
と考えるとやる気が出て、自分本来の力を発揮できるようになる。


また、自分だけでなく、
子どもや夫にもポジティブマインドを持たせることができれば、
大きな目標を実現できるかもしれません。


では、どうすれば自己肯定感を高めることができるのか?


【1】目標達成表を作りゲーム感覚で楽しむ。
目標を明確にし、その実現のために練習を積んできた大谷選手。
どんなにつらい練習にも楽しさを見いだして高い目標を達成できた秘訣は、
高校時代に作成していた
「目標達成表」だといいます。


「目標達成表は、中央のマスに目標を記入し、
その周囲に目標を達成するために必要な要素を書き出したものです。
この表を作成することで、やるべきことが明確になるだけでなく、
つらい練習にも価値を見いだしながら積極的に取り組む自主性が養われたのです」

また、小さな目標を日々達成していくことで、
「自分はできる」「だから頑張ろう」という自己肯定感とやる気が生まれるのだ。


【2】ポジティブ思考で「いやなこと」を書き換える。
大谷翔平の場合:ケガで投手として出場できない・・・。
 ⇒打者としていい状態でプレーできるようにしよう!


【3】「数値化マジック」でモチベーションアップ。
目標を具体的な数字で⇒いつまで、いくつ、何歳まで・・・ 


二刀流を支えたコンディション維持の秘訣は「睡眠」
とにかくよく眠るそうです。


↓の目標達成表の「運」中に、
「ゴミ拾い」「審判さんへの態度」「プラス思考」と書いていますね。
高校生の時から実践していたのですね。


早速、私も参考にして作ってみました。


参考抜粋
。yahoo!ニュース
。スポーツニッポン
。児玉光雄著:『大谷翔平・羽生結弦の育て方 子どもの自己肯定感を高める41のヒント』(幻冬舎)

受験日に起きた思いがけないハプニングで・・・。

「どうか合格できますように」という祈りと共に、
「どうぞ受験会場に無事入れますように」
という祈りも必要ですね。


孫たちが2月1日の中学受験を控えて、
学校を休んで自宅で受験勉強をしています。
小学生が、学校を休み受験勉強をするなんて

時代が変わったものです。
クラスの3分の1が自宅で

受験勉強をしているというのです。


自宅療養、テレワーク、リモート会議、
リモート授業 自宅勉強・・・
こんな言葉がコロナ時代を象徴しているようです。


1月から3月まで受験シーズンを迎えて、
コロナウイルス、オミクロン株、大雪 地震、
交通機関の不通や事故、事件・・・
受験生や家族にとっては余計な心配事もプラスされます。

「どうぞ受験会場に無事入れますように・・・」
こんな祈りも必要ですね。


私が大学受験をした日に起こった
とんでもないハプニング。
忘れることのない、昔の出来事です。

受験当日の早朝、

受験会場まで父が私を

車で送って行くことになっていました。

長野県信州の3月、春とはいっても、まだ肌寒く、

朝もやがかかっていました。

会場までは我が家から車で約1時間半ほど。

峠を一つ越えて行かなければなりません。


家を出発してから30分。

上り坂の途中で、

なんと車が動かなくなってしまいました。

朝早い時間だったため、

すれ違う車は全くありません。

峠の山道、携帯電話もない時代です。


父はボンネットを開けて覗き込んだり、

車の下に潜っていました。

もともとメカに強い父は、

故障したものは何でも直していました。


しかし、車のエンジン。

この故障だけは無理だろうと思いました。

時間に余裕を持って家を出たけれど、

まさかこんな事態になるとは

思ってもいませんでした。

車はなかなか動きません。


「お父さん大丈夫?」

私が何度聞いても、父は何も言いませんでした。


「もう間に合わない!」

私だけが、車の外をウロウロしながら

完全にパニックになっていました。



そうして待つこと40分ほど経ったでしょうか。

車が鈍い音を立ててエンジンがかかりました。

なんと車が動いたのです。


時間を取り戻すために、

車は猛スピードで走りました。

試験会場に駆け付けると、滑り込みセーフ。

ちょうど試験が開始された時間でした。


私は遅刻でしたが、

一番前の右端の席に案内されました。


試験問題と解答用紙を前にして、

自分の心臓の鼓動が聞こえました。

体が小刻みに震え握った鉛筆が、

机の上でカタカタと音をたてていました。


私は頭の中が真っ白になったばかりでなく、

目の前の解答用紙も真っ白になってしまったのです。


私の右横に腰かけていた試験官が

私を時々チラッ、チラッと見ていました。

そんな目線も怖いと感じました。 


後日、私は「不合格」の通知をもらいました。


時々、私はあの時の父の姿を思い出しては、
父は立派だったと関心することがあります。


私の気持ちを気遣って「困った」「どうしよう」などと
一言も言いませんでした。
黙って黙々と事態に立ち向かっていました。
決して諦めなかったのです。
諦めてはならなかったのです。



必死で立ち向かう父の姿は冷静には見えましたが、
父の胸の内はどれほど大変だったでしょうか。
大事な娘の一生に関わるハプニング。
背を向けることもできず、諦めてはならなかったのです。


この時の父は、自分の限界を完全に超えたのです。


***********


「どんなときにも慌ててはいけません。
慌てると自分のパワーが働きません。
自分自身をコントロールすれば、
どんな状況でもきちんと対処できるのです」


「私に降りかかる出来事をそのまま受け入れます。
偉大な人は常にこの心得を守ってきました」

アメリカ宣教~教会と牧師を伝道する?~

2002年、アメリカ、アイオワ州のデモイン。
英語も話せず難聴のハンディーを持つ私は、
単身で日本を発ち、この小さな町で4か月間
宣教活動をした。


可愛いおもちゃの家を並べたような
素敵な美しい町である。
アスファルトの壊れかかった道路を、
車がコトコトと走っている。
私の住んでいる東京と比べたら、
この街は時間が止まっているような、
ゆったりとのどかな町であった。


州の中心都市デモインからバスに乗って20分、
私達日本人と韓国人の宣教師が生活する
小さなホームチャーチがある。
緑のベールを敷きつめたような小高い丘の上に建っている。
狭い階段をトントンと登ると可愛いい入口のドアがある。


一階建の小さな建物であるが、
地下室にはキッチンと洗濯室があった。
一階は礼拝堂になっており、小さな小窓からは、
そよそよと風が入ってくる。


朝、5時から6時まで礼拝堂で、
朝の祈りと訓読会で一日が始まる。
自分たちで作ったサラダとパンと牛乳が朝食である。


9時にはスーツに着替え、
ちょっとおしゃれして、出かける準備をする。
現地の家庭連合の教会員が、
車でピックアップしてくれることもあるが、
ほとんどはバスに乗って移動する。


目的地は現地の教会。
地図を開いてその日の目的地を決める。
カトリック、プロテスタント、仏教、イスラム教・・・。
白人系、黒人系、さまざまな教会を訪問して行く。


2名づつのペアで目的の教会に向かう。
片言の英語で
文鮮明師のみ言を伝える。
牧師さんたちと宗教指導者を伝道するのだ。
一般の人でなく、聖職者を伝道する。


バスを乗り継いで夕方まで、1日に数件の教会を訪問し、
牧師さんと面会をする。
バスがないところでは何キロも歩いて足が棒になる。
昼食は持参した手作りのサンドイッチかおにぎりで済ませる。
過労と栄養不足で、身体がむくみ体重がガンガン増える。


その当時、キリスト教国家であるアメリカにも悩みがあった。
教会に通う人は老人ばかりで若い人が少ない…
そして、家庭崩壊と青少年問題、倫理道徳問題が深刻だった。
これらの問題をどのようにしたら解決することができるか
これが、当時の現地の牧師達の悩みだった。


だから、文鮮明師の教理と活動に興味関心を持ってくれる。
美人でもなければ立派でもない、
小さな日本人女性宣教師に関心を持つ理由は、
抱えている問題を解決できる道を握っているからだった。


実は、このように牧師達が日本から来た宣教師に興味を持ち
受け入れることができるようになるまでには、
40年という長い時間と文鮮明・韓鶴子夫妻の
血と汗と涙の犠牲や苦労があった。


************
文鮮明・韓鶴子夫妻が、
初めてアメリカに宣教師を送ったのは1959年。
世界的に共産主義が猛威を振るっていた1970年代には、
世界127ケ国に宣教師を送り出したが、殉教者もたくさん出た。
その当時のアメリカは共産主義、人種差別、
倫理道徳問題、社会問題、ベトナム戦争などで疲弊していた。
キリスト教国家が病を患っていたのだ。
1971年、文師夫妻は自らアメリカに渡り、
「アメリカを救うために、私は消防士や、医者として来た」と言った。
アメリカ社会の精神革命のために40年間を投入した。
精神革命の種は次第に成長し、やがて
アメリカの青年たちや宗教指導者が立ち上がった。


そのような土台の上で、1999年から2003年にかけて
「アメリカにハリケーンを起こす」として、
私達日本人宣教師22,200名が全米50州に動員された。
子供や夫を日本に残し、数ケ月から数年間にわたり、
聖職者を伝道し、アメリカの精神革命の責任を任された。
他の為に生きることとは、犠牲を前提にするのだ。


************
2002年、私達日本人女性宣教師は、
日曜日には、現地の教会の礼拝に参加したり、
こちらの家庭連合の礼拝に牧師達を招待する。
簡単なブランチを準備して親睦を図り教理を教える。
宗教宗派人種を超えた様々の聖職者が、
私たちの礼拝や集会にやってきた。


カトリック系の教会は少し難しいが、
黒人系の教会は牧師や教会が丸ごと伝道される。
日本人の言語のハンディキャップにも拘らず多くの奇跡が起こった。
統一運動や文鮮明師を誤解していた宗教指導者の誤解が解けて感動する。
文鮮明師の創設した
ACLC(米国聖職者指導協議会)に所属になる。


2001年5月には国連にて、
60双の超宗教超国家超人種の祝福結婚式をはじめとし、
2002年4月には14万4000双の聖職者祝福結婚式が行われた。
独身を貫くカトリックの牧師達がたくさん結婚をしたので、世界を驚かせた。


2003年8月、私は再びアメリカのニューヨーク州に動員された。
これから20年を経たACLCは
WCLC(世界聖職者指導協議会)に
包括され世界に向かって拡大されている。


最近、2018年1月韓鶴子総裁がアフリカゴレ島を訪れ、
たくさんの宗教指導者と共に「アフリカ解放解怨式」を挙行した。
その後から、アフリカの聖職者に啓示が降り、聖職者が立ち上がった。
悲劇の歴史「ゴレ島」
悲劇の歴史「ゴレ島」 - 文鮮明、韓鶴子御夫妻)


私は、2019年8月にアフリカのタンザニアとジンバブエに動員された。


(アフリカ宣教については、次の機会に)


♡最後までお読みいただきありがとうございました。\(^o^)/

水晶のような心で

人生は鏡のようなものです。
他人に映る自分の姿しか見ることは出来ません。


「皆様の一挙手一投足は、
水晶のように澄んだ人生にならなければなりません」
(文 鮮明)


「女性が時代をそのまま映す鏡となるためには、
まず自分が清く純粋でなければなりません」
(韓 鶴子)


こんな言葉に触れるとき、
思い出される話があります。


子供たちがまだ小さかったころ、
よく話して聞かせた話しです。


広い牧場に一匹の可愛い羊が草を食べていました。


それを見たひとりの人が「あっ、白い羊だ!」と言いました。


二人目は「赤い羊だ!」と言いました。


そして、三人目は「違うよ!茶色の羊だよ」と言いました。


なぜ同じ羊を見たのに、白、赤、茶色に、見えたのでしょうか?


(う~ん なんで?)


実はね、赤く見えた人は赤いサングラスをしてたの。

茶色に見えた人は茶色のサングラスをかけていたのです。


(なあ~んだ! そっか~~)


同じ物を見ても人によって違って見えたり感じたりするでしょ?

心にサングラスを掛けているからですよ 。   


(心にサングラス?どうやって掛けるの?)