天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

アメリカ宣教~教会と牧師を伝道する?~

2002年、アメリカ、アイオワ州のデモイン。
英語も話せず難聴のハンディーを持つ私は、
単身で日本を発ち、この小さな町で4か月間
宣教活動をした。


可愛いおもちゃの家を並べたような
素敵な美しい町である。
アスファルトの壊れかかった道路を、
車がコトコトと走っている。
私の住んでいる東京と比べたら、
この街は時間が止まっているような、
ゆったりとのどかな町であった。


州の中心都市デモインからバスに乗って20分、
私達日本人と韓国人の宣教師が生活する
小さなホームチャーチがある。
緑のベールを敷きつめたような小高い丘の上に建っている。
狭い階段をトントンと登ると可愛いい入口のドアがある。


一階建の小さな建物であるが、
地下室にはキッチンと洗濯室があった。
一階は礼拝堂になっており、小さな小窓からは、
そよそよと風が入ってくる。


朝、5時から6時まで礼拝堂で、
朝の祈りと訓読会で一日が始まる。
自分たちで作ったサラダとパンと牛乳が朝食である。


9時にはスーツに着替え、
ちょっとおしゃれして、出かける準備をする。
現地の家庭連合の教会員が、
車でピックアップしてくれることもあるが、
ほとんどはバスに乗って移動する。


目的地は現地の教会。
地図を開いてその日の目的地を決める。
カトリック、プロテスタント、仏教、イスラム教・・・。
白人系、黒人系、さまざまな教会を訪問して行く。


2名づつのペアで目的の教会に向かう。
片言の英語で
文鮮明師のみ言を伝える。
牧師さんたちと宗教指導者を伝道するのだ。
一般の人でなく、聖職者を伝道する。


バスを乗り継いで夕方まで、1日に数件の教会を訪問し、
牧師さんと面会をする。
バスがないところでは何キロも歩いて足が棒になる。
昼食は持参した手作りのサンドイッチかおにぎりで済ませる。
過労と栄養不足で、身体がむくみ体重がガンガン増える。


その当時、キリスト教国家であるアメリカにも悩みがあった。
教会に通う人は老人ばかりで若い人が少ない…
そして、家庭崩壊と青少年問題、倫理道徳問題が深刻だった。
これらの問題をどのようにしたら解決することができるか
これが、当時の現地の牧師達の悩みだった。


だから、文鮮明師の教理と活動に興味関心を持ってくれる。
美人でもなければ立派でもない、
小さな日本人女性宣教師に関心を持つ理由は、
抱えている問題を解決できる道を握っているからだった。


実は、このように牧師達が日本から来た宣教師に興味を持ち
受け入れることができるようになるまでには、
40年という長い時間と文鮮明・韓鶴子夫妻の
血と汗と涙の犠牲や苦労があった。


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文鮮明・韓鶴子夫妻が、
初めてアメリカに宣教師を送ったのは1959年。
世界的に共産主義が猛威を振るっていた1970年代には、
世界127ケ国に宣教師を送り出したが、殉教者もたくさん出た。
その当時のアメリカは共産主義、人種差別、
倫理道徳問題、社会問題、ベトナム戦争などで疲弊していた。
キリスト教国家が病を患っていたのだ。
1971年、文師夫妻は自らアメリカに渡り、
「アメリカを救うために、私は消防士や、医者として来た」と言った。
アメリカ社会の精神革命のために40年間を投入した。
精神革命の種は次第に成長し、やがて
アメリカの青年たちや宗教指導者が立ち上がった。


そのような土台の上で、1999年から2003年にかけて
「アメリカにハリケーンを起こす」として、
私達日本人宣教師22,200名が全米50州に動員された。
子供や夫を日本に残し、数ケ月から数年間にわたり、
聖職者を伝道し、アメリカの精神革命の責任を任された。
他の為に生きることとは、犠牲を前提にするのだ。


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2002年、私達日本人女性宣教師は、
日曜日には、現地の教会の礼拝に参加したり、
こちらの家庭連合の礼拝に牧師達を招待する。
簡単なブランチを準備して親睦を図り教理を教える。
宗教宗派人種を超えた様々の聖職者が、
私たちの礼拝や集会にやってきた。


カトリック系の教会は少し難しいが、
黒人系の教会は牧師や教会が丸ごと伝道される。
日本人の言語のハンディキャップにも拘らず多くの奇跡が起こった。
統一運動や文鮮明師を誤解していた宗教指導者の誤解が解けて感動する。
文鮮明師の創設した
ACLC(米国聖職者指導協議会)に所属になる。


2001年5月には国連にて、
60双の超宗教超国家超人種の祝福結婚式をはじめとし、
2002年4月には14万4000双の聖職者祝福結婚式が行われた。
独身を貫くカトリックの牧師達がたくさん結婚をしたので、世界を驚かせた。


2003年8月、私は再びアメリカのニューヨーク州に動員された。
これから20年を経たACLCは
WCLC(世界聖職者指導協議会)に
包括され世界に向かって拡大されている。


最近、2018年1月韓鶴子総裁がアフリカゴレ島を訪れ、
たくさんの宗教指導者と共に「アフリカ解放解怨式」を挙行した。
その後から、アフリカの聖職者に啓示が降り、聖職者が立ち上がった。
悲劇の歴史「ゴレ島」
悲劇の歴史「ゴレ島」 - 文鮮明、韓鶴子御夫妻)


私は、2019年8月にアフリカのタンザニアとジンバブエに動員された。


(アフリカ宣教については、次の機会に)


♡最後までお読みいただきありがとうございました。\(^o^)/