天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

私達もヤングケアラーだったよと言われて・・・。

「私達もヤングケアラーだったよ」
ヤングケアラーのブログ(https://satofamily53.muragon.com/entry/24.html)を
読んだ娘が、私に言いました。
娘の言葉は私の胸を突き刺しました。


「えっ! いつ?」


ずいぶん昔の事です。
私が海外宣教に行って数か月間、母不在の間、
主人と娘達家族の3人は父子家庭になりました。
私のために、家族は多くの負担と犠牲を負っていました。


次女が小学校の頃、
袖口の破れた制服を先生に注意され、
いつまでも縫えなかったため
「お前のお母さんは何してるの?」と、
娘は先生に叱られたのです。


学校から帰っても、
誰もいないため、寂しい気持ちを埋めるためなのか
テレビやゲーム遊びにふけっていました。
私は娘たちの学校や受験の相談と準備も

してあげられませんでした。


娘たちは、家事もしなければならず、
出勤前の主人は、娘たちのお弁当作りが日課となりました。
「自分のお弁当ぐらい、自分で作らせて」
私は無責任な言い方を主人にしていました。


娘の卒業写真の前日には、
娘の制服のブラウスに主人はきちんとアイロンを当て、
学校に送り出したのです。


こんな家族のこともいつの間にか忘れかけていました。


“家庭連合”の多くの宣教師の中には、
家族を置いて何年も海外宣教に行た人や、
妊婦で宣教に行き、出産のためにに帰って来て、
出産後は赤ちゃんを預けて、
再び宣教に出た若いお母さんもいたのです。


この様にして犠牲を負った多くの子供たちも、
今は大人に成長し、たくさんの子供の親になっています。


はるか昔の出来事になりましたが、
少なからず、そのような子供たちの心の中に
母に対する恨みを残したのではないかと思うと、
心が痛いです。


今、私の娘たちも母になり、子育てに奮闘中です。
時々、その当時を思い出して言いました。


「お母さんのお弁当より、
お父さんの作ったお弁当の方がおかずが多かったね」


卒業写真を見ては、
「お父さんがアイロンしてくれた、制服です」


昔の母親が直面していた事情は理解できなくても
娘たちの心の中に、辛い思い出より
良い思い出が残っていることは幸いです。
ひそかに子供や夫を守ってくださった
天に感謝でしかありません。