天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

何気なく発する言葉で命を殺す?

南太平洋のソロモン諸島では、
木を伐るのに不思議な風習があるそうです。  
木があまりにも大きくて歯がたたないと、
原住民たちは怒鳴りつけ呪い言葉でその木を倒すのだそうです。
⚠ 危険なので絶対真似をしないでください!)


さて、どのような方法なのでしょう・・・

特別な能力をもった樵(きこり)たちが、

夜明けにそっと木に忍び寄り、

いきなり大きな声でわめきたてる。

これを30日間、毎朝欠かさず続けるそうです。


すると・・・


木は次第に衰えて、ついに倒れてしまうそうです。

怒鳴りつけ、呪い言葉が木の命を殺すのです。


原住民の話では、これで倒れない木はないそうです。 

言葉は言霊だと言います。
言葉で生かすも殺すもできるというお話です。


日ごろ、どういう言葉を口にしているかがとても大事ですね。


ところで・・・


韓国で異例の社会現象にもなり150万部突破した、
イ・ギジュ箸
『言葉の温度』『言葉の品格』と言う
ベストセラーエッセイ本があります。
日本語にも翻訳されています。

言葉には、それぞれに固有の温度があるそうです。
日々、何気なく発する一言の「言葉の温度」は何度でしょう?


心地よい温かさで人を癒す言葉・・・
熱すぎたり冷たすぎたりで誰かを傷つける言葉・・・


温かみのある言葉は、しゃべった人にもそれを聞いた人も
心地よく温かい癒しになります。


一方・・・
叱咤(しった)や激励のように熱い言葉には
激しい感情が込められているので
話した人はすっきりしますが、
それを聞いた人は心に火傷を負う こともあるそうです。
聞いた人だけでなく、しゃべった人も火傷をするというのです。


また、著者は・・・
何気なく口にする一言に、その人の品格が表れ、
言葉で人格を決定してしまうとも言っています。


無意識に発した一言で大切な人が去っていくなら
言葉の温度が高すぎたのではないかと考えてみなければなりません。


叱咤(しった)激励などの激しい熱い言葉は、
職場や学校ではNGワードになりつつあるそうです。


では、家庭ではどうでしょう。
家族間では𠮟咤激励はおろか、時には激しい怒りや否定的な言葉も・・・
冷たい氷のような言葉凍傷を作ります。


家庭はスポーツチームではありません。
監督やコーチのように𠮟咤激励の熱い言葉を掛ける必要はないのです。


むしろ、応援団のように・・・
共感し合って思いやりのある、温かい言葉をかけてあげたいです。


聖書のヤコブの手紙(3章5~6節)には『舌は火である』と書かれています。
舌は私たち人間の小さな器官ですが、
舌が火になることもあると言うのです。


ごく小さな火が大きな森を燃やすごとく・・・
舌によって身を焦がし、自らの命さえも燃やし尽くしてしまうと警告しています。


ところで・・・
先ほどのソロモン諸島の樵(きこり)たちのことが心配になりました。
怒鳴りつけ、呪い言葉を発した本人自身もダメージを受けるのですから、
それこそ命がけの仕事なのですね。


生きる希望と勇気を与えた奇跡の大樹

2011年東日本大震災で陸前高田市の「奇跡の一本松」は、
多くの人々に希望と勇気を与えました。


また、同じように100年前・・・
大正12年9月におきた
関東大震災でも、
一本の大樹が希望の灯を灯したのです。


1923年(大正12年)9月1日、
甚大な被害をもたらした関東大震災で
東京は三日間燃え続けて7万人に及ぶ死者の多くが、
火災によって亡くなったといわれています。


都心は一面焼け野原。
ところがなんと、現在の千代田区の一ツ橋の辺りで、
一本の銀杏の木が、幹の一部が黒く焦げながらも
奇跡的に生き延びたのです。


周囲の樹木はほぼ全部焼失。
以降、この銀杏の木を「震災いちょう」と呼び
復興のシンボルとして注目を集めました。


この黒焦げになった「震災いちょう」から、
翌春、新しい芽が吹き出し「関東大震災の奇跡」だと、
その生命力の強さが伝えられました。


震災で失意のどん底にいた人々は、
「震災に負けてはいけない」「逆境に立ち向かう」という
強いメッセージを受け、生きる勇気と明日への希望を得て、
復興に立ち上がっていきました。


ところが、その後の復興事業で切り倒されることになり、
それを知った気象庁の前身の中央気象台の台長 
岡田武松氏
「この樹をなんとか後世に残したい」

と訴えました。


<「震災いちょう」保存に尽力した岡田武松氏 >

岡田氏は、若き日に「気象による災害を防ぎたい」と気象学者を志し、
今日の天気予報の礎を築き”日本近代気象学の父”と称されますが、
「災害を風化させてはならない」というその訴えのお蔭で、
奇跡のイチョウの木は保存が決まったのです。


一ツ橋から、中央気象台のすぐ近くの現在地、
皇居・大手門のお濠端に植え替えられました。


100年経った今も東京都民に親しまれています。
植樹は1860年ごろで、現在の樹齢は約150年とされています。


東京の銀杏の色づきを見る”標本木”として、
毎年、気象庁が観察を続けています。


「震災いちょう」の幹は周囲約3.6mの巨木
今でもその幹のほぼ
/3に大きな焼け跡が残り、
焼け跡の表面は幹が腐りや枯れを防ぐため、
樹木医によって樹脂加工が施されています。


<写真は防災システム研究所よりお借りしました>

「震災いちょう」の木陰で休んでいた人は・・・
「この樹の下にいるとほっとする、心と体が癒される」
「元気をもらえる」
と話したそうです。


100年経た今でも枝葉を茂らせ、木陰を作り
いつでも誰でも、すべてを受け容れ、
慰め、励まし、癒しのオーラを放つ
”震災いちょう”は、
母のような巨木なのです。


新芽が出るころに確認しに行ってみたいと思います。


*************

一方・・・
2011年東日本大震災の
「奇跡の一本松」は・・・
樹齢173年、高さ27.5mもある奇跡の松


長い間海水に浸かっていたため、

残念ながら2012年5月に枯死が確認されました。


<『奇跡の一本松』のシンボル>


しかし・・・
復興の最中に「希望と鎮魂の象徴」として保存されることになったのです。


2012年9月にいったん木を分割して伐採され、
強化樹脂の棒を入れ防腐処理を施し、枝と葉は特殊な樹脂で再現し、
2013年に
モニュメントとして復元されました。
現在も、あの姿で昔と同じ場所に堂々たる姿で立っています。


また、「奇跡の一本松」の命を継いだ二世松が、
松ぼっくりから採取した種や枝の接木による
後継樹の育成プロジェクトによって、
奇跡的に12本に命がリレーされたそうです。


成長した二世松の3本は陸前高田に、
他9本は各地に植うえられ、元気に成長しているそうです。


ところが・・・
何者かによって切断されてしまった二世松もあるとか・・・(;д;)


また、「奇跡の一本松」の根は、現在は分割されて保管されており、
2022年3月に東京都で特別展示され話題になりました。


<2022年に展示された「奇跡の一本松」の根:写真は産経ニュースより>


今年元旦、能登半島地震でもたくさんの方が被災しました。
少しずつ復興がなされていますが、

「奇跡の一本松」「震災いちょう」の大樹のように、
早く復興が進み安心して暮らせますように・・・
強くたくましく生きていけますように・・・


参考:
・東京新聞
・防災システム研究所
・産経ニュース

人は何を残して死すべきか? その後・・・

ちょうど1年前にグログ記事に書いていた93歳友人が、
2月4日に逝ってしまいました。


彼女は半年くらい前に転倒して背骨を骨折。
入院していましたが・・・
誰にも別れを告げずに・・・ご主人にも・・・


あまりにも突然でした。


追悼と思慕の気持ちを込めて、生前の彼女の様子を書いた
ブログ『人は何を残して死すべきか?』を再投稿します。


先日、韓国人の牧師と、ある高齢者家庭を訪問しました。

86歳と92歳の仲睦まじいご夫婦の家です。


私はご夫婦とは長いお付き合いをしてきました。

92歳の奥様は4,5年前に認知症になり、

ご主人が、買い出しから家事の一切をしていました。

いわゆる老々介護です。


彼女の趣味は読書。

30年前から本を読み、大事な分厚い一冊を40回読破したそうです。

ボケないようにと10年前からは、大事な本をノートに書き写していました。

そのノートが今では何十冊にもなるそうです。


************


「マッチ箱のような家だから・・・」と言って、

昔から人の訪問を敬遠していました。


立派な住宅が並んだ閑静な住宅街の一角にある

実に、小さな古い家なのです。

古いセピア色の写真のような小さな二階家。

こんな家に人が住んでいるのかと感じる家なのです。


既に玄関先でご主人が私たちを待っていました。


ガタついた玄関ドアを入って、

タイル張りの流しのあるキッチンの前を通ると

向こうには3畳ほどの小さな部屋がありました。

4人で座ったら部屋はいっぱいです。


壁には、天井まで、家族やお孫さんの

若い頃の写真や賞状などが飾ってありました。


「こんな狭苦しいところに来てくださって、ありがとうございます」

「歩けなくなってしまって、何の接待もできません」

と奥様が言いました。


昔、ご夫婦で頑張ったいろんなお話を

ご夫婦は懐かしそうに話してくれました。

しだいに明るい表情に変わっていきます。


玄関先で失礼するお約束が、1時間を経過していました。


「何かお祈りしてもらいたいお願い事はありますか?」と牧師が聞くと・・・

「な~んにもね~よ。健康だけだね」とご主人が笑って言いました。


帰り際、ご夫婦は、玄関先で何度も何度も

「ありがとうございました」と言いました。


帰りの道すがら、

私はこの老夫婦の次のようなお話を牧師にしました。


お孫さんが来て家に泊まった日、大雨が降ったそうです。

雨が降ると雨漏りするんです。


いろんな器で雨漏りのしずくを受けるので・・・


「トントン…、カンカン…、コンコン…」

いろんな音があちらこちらから聞こえて、

お孫さんが大喜びしたそうです。


台風が来た時は・・・

玄関ドアが飛んでしまったそうです。

ご主人が外れたドアを拾って自分で取り付けたんです。


50年以上もここに住んで、

周りはすべて立派な家に変わりました。

息子さんから家を建て替えるようにと言われても、

建て替えもリフォームもしなかったそうです。


その代わり、二人の息子さんとお孫さんたちを大学まで出して、息子やお孫さんたちを立派に育てました。


ずっと夫婦で息子や孫たちの幸せを祈って来たのです。


どんなに貧しい生活でも、夫婦はいつも感謝していました。

不平不満や人を批判するような言葉を聞いたことがありません。


お孫さんが家に泊まりに来た時は、

必ず親と喧嘩した時だったそうです。

そんな時、美味しいものをたくさん食べさせて、

黙って孫の話を聞いてあげたそうです。


たとえ、お嫁さんの方が間違っていても、

「あなたのお母さんは間違っていないよ、お母さんに謝りなさいね」

と、言って家に帰してあげたそうです。


お孫さんやたくさんの方から尊敬されていました。


こんな話をしながら牧師と歩いていると、

牧師はずっと黙って聞いていましたが・・・


見ると・・・

牧師は泣いていました。



私たち人間は愛を呼吸しながら、

一日の生活において何を残しているのでしょう。

何を残すべきなのでしょう。


人は何を残して死すべきか?


次のような言葉を思い出しました。


🍀「一生の終わりに残るものは、集めたものではなく、与えたものとなります」~ジェラール・シャンドリー~


🍀「人は一生の間にどれだけの愛を集めたかによってではなく、どれほど、どのような愛を与えたかによって裁かれます」~渡辺和子~                                                                     


🍀「手に入れた物や業績より、                                                どれだけ人を愛したか、どれだけ人の為に生きたかが重要です」~文 鮮明~

夢を持って志を立て強く雄々しくあれ

「無気力・無関心・無責任」三無主義という時代がありました。
これに「無感動」を加えて四無主義という”しらけ世代”。
さらに、挨拶もできない「無作法」を加えて五無となり、
おまけに「無感動」も加わって六無になったと言います。


無気力・無関心・無責任・無感動・無作法・無感動の六無主義


~六無主義の六無人間は、人間欠落であって、
あらゆるコミュニティー(家族、地域社会、国や世界)を
崩壊させていく~

と言う人もいます。


ところが、世の中まだまだ捨てたものではない・・・
この様な世の中に希望や夢を与えてくれる人がいるのです。


「外見・実力・人柄」すべて完璧と言われている大谷翔平さん
彼は世界の野球界のヒーロー。
世界中の人に希望や夢、やる気、感動を与えています。


いつの時代もこのような立派なヒーローが、
人間の本心に灯を点け、人間を原点に戻し、
世の中によき影響を与えているのです。


気が付けば私たちの周りにも様々なヒーローがいます。
彼らは「六無主義」の「無」を吹き飛ばすリーダーなのです。


喜びや感動を施すリーダー
を施すリーダー
夢や希望を施すリーダー
病気から救うリーダー


世界に目を向ければ・・・
紛争地域の争いを防いでくれる外交グローバルリーダー
貧しい人を救う愛と救いのグローバルリーダー
世界平和を導く平和のグローバルリーダー


そのようなリーダーは・・・
冒険心と開拓精神、夢と目標を持って志を立て、
たとえどんな悲惨な環境でも「できない」とは言わなかった。
「できない」と言うことができなかった。


生涯を通して「やめたい、諦める」ことができなかった。


ヒーロー大谷翔平さんもまた・・・
「できない、やめたい、諦める」と言わなかった。
夢を持って志を立て、世界中の人のハートに火を付ける、
グローバルリーダーなのです。


きょう、私も・・・
少なからず、そのような努力をしたであろうか・・・


夢を持って志を立て、力強く雄々しく進む船には、
大風も荒波も味方するでしょう。
神がこの船の先を行かれるから・・・

「強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。

おののいてはならない。あなたのいくところ  どこででもあなたの神は共におられる」 ~ヨシュア記~

「福は内! 鬼も内!」慈眼寺の節分祭

2月3日の節分とは季節を分けること。
「立春」の前日のみを「節分」と呼び、
節分祭は心の中の悪いもの(鬼=邪気・厄災・煩悩)を追い出し、

一年の無病息災を願う伝統的行事です。


鬼は、仏教では人間の心にある煩悩を象徴し、
5つの色の鬼が煩悩を表すそうです。


今年は、孫達の願いで、仙台秋保の慈眼寺の節分祭に
家族5人で参加してきました。


慈眼寺は、奈良県の金峯山寺で大峯千日回峰行と四無行を満行した、
1300年に2人目となる塩沼亮潤大阿闍梨様によって開山された
仙台市秋保にあるお寺。


10時過ぎに慈眼寺に到着。 
仙台駅でちらついていた雪も、途中では一時本降りに、
しかし、慈眼寺に着くと雪は止んでいました。


境内のお庭にあった鉢には厚い氷が張っていました。
お庭のあちこちに残雪が残っています。

今年は雪が少ないとか・・・


焚火の火が暖かいです。



<節分厄除け護摩俢法>
本堂で護摩祈祷の護摩炊きの炎が高々と上がると・・・
5色の鬼(赤鬼、青鬼、黒鬼、黄鬼、灰色鬼)が堂内にやって来ました。
黒くて太い”鬼のこん棒”を持っています。


鬼は参拝客の間をかき分けて歩きながら、こん棒で身体に触れていきます。
肩もみしてくれる鬼もいました。ヽ(´∀`)ノ
4歳の孫はすべての鬼に何度も頭を撫でてもらい、

主人は肩もみをしてもらったとか・・・


どうやら鬼に触れてもらうことにもご利益があるようです。


<厄除けの聖杖お加持>
一人ずつ塩沼亮潤大阿闍梨様のお傍に出て行き、
厄除けのお加持をしていただきます。


<鬼の調伏式>*全国でも珍しい儀式
慈眼寺では「福は内! 鬼も内!」
踊っている鬼に向かって一斉に豆をまきます。


「鬼の調伏式」では全国から「鬼は外〜」で追い払われた鬼たちを迎い入れ、
鬼たちを経典の功徳や法力と信徒の撒く豆で平伏させ「良い鬼」に改心させます。


慈眼寺の蔵王権現様は、心優しくて功徳も大きいですね。



<動画は2023年の鬼の調伏式の様子:youTuveをお借りしました>


踊っていた5色の鬼たちは・・・
やがて、改心して塩沼亮潤大阿闍梨様の前にひれ伏しました。


節分祭が終わった後の本堂では床につぶれた豆が一面に・・・。
何故か本堂のこんな珍しい様子を

思わず写真に収めました。


<祭祀が終わって本堂から出ていらっしゃった塩沼亮潤大阿闍梨様>


<改心した良い鬼と一緒にツーショット>

<帰りにいただいたお菓子(千日餅)と福豆 >


毎年、慈眼寺の節分祭には多い時で全国から700名が参加するとか・・・
歳の数だけ食べる福豆を私には3袋もくださいました。ヽ(´∀`)ノ
たくさんのお土産付き、準備も大変だったことでしょう。


鬼を悪者扱いしないで、改心させ良い鬼に戻してくださる。
改心した鬼たちとも仲良く今年も頑張って行こう!


ちなみに・・・
東京都台東区の浅草寺成田山の新勝寺では、
「福は内」だけで「鬼は外」を言わないそうですね。
我が家の近くの飯縄大権現様を祀る高尾山薬王院でも、
鬼を追い出したらダメと言い「福は内」だけです。
地域によってさまざま、「鬼は内、福は内」と言う地域もあるようです。


慈眼寺の節分祭・・・
何だか心が晴れ晴れする節分祭でした。
こんなに楽しい節分祭は初めて。


来年も、家族みんなで来ま~~す。

**************


ところで・・・
最近は、教育上疑問視する童話があるそうです。
例えば・・・
『桃太郎』の鬼退治。


「桃太郎は鬼を退治する以外に解決方法はなかったの?」
「正義とは何か?」
「鬼に子供がいたらどうするの?」・・・

中学道徳では、正解なき問いと向き合うことをしているそうです。



一方・・・
100年経た今も国語や道徳の教科書に採用されている
『泣いた赤鬼』
自己犠牲や信頼友情などの道徳的価値にあふれる鬼の姿が描かれています。


<あらすじ>

みんなと仲良くなりたくて、

おいしいお茶とお菓子を用意して待っていた赤鬼。

だけど、やってきた村人は、

赤鬼の姿を見ただけで逃げ出してしまいます。

落ちこむ赤鬼に、友だち思いの青鬼が力をかしてくれたので、

赤鬼には、人間の友だちがたくさんできました。

ところが青鬼は、あの日から一度も訪ねてこなくなりました。

心配した赤鬼は、青鬼の家を訪ねることにしました。

青鬼の家はしまっていたのですが、ふと、気がつくと……。

『泣いた赤鬼』が伝えたかったこととは・・・


鬼=悪者・らんぼう者 という偏見をなくし
優しい鬼もいるということを伝えたい。
お互いを認め合い理解し合う。


赤鬼だけが人間と仲良く暮らすことではなく、
鬼と人間との共存を願う。
青鬼の自己犠牲を伴った本当の友情、
本当の優しさは何か。


100年経た今も国語や道徳の教科書に採用されている『泣いた赤鬼』
大人も読んでみたい本です。