天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

愛妻家に相応しい条件~ゴリラに学べ~

1月31日は「愛妻の日」
愛妻の日は、妻に感謝の気持ちを表す日として、
「愛(I)妻(31)」の語呂合わせ。


結婚に関する調査によると・・・
「パートナーは愛妻家」と思っている妻の割合が95%を超え
その理由について、コロナ禍で夫婦の関係性が見直され、
結婚相手に求める条件が変化したそうです。


かつては「3高(高学歴、高身長、高収入)」という時代もあり、
2020年に行った調査では、
『思いやり・優しさ』などへ変化していると言います。

【結婚相手に対して最も重視する条件】

(2020年7月ウェディングパーク実施調査)

1位 思いやり、優しさ

2位 自然体でいられる

3位 性格・価値観が合う

4位 一緒にいて楽しい

5位 経済力

ところで・・・当ブログで紹介しました
強い男は強さを抑えて、弱いものに寄り添っていく”


現代社会は ”サル化” しており、
私たちは、”ゴリラ社会” に学ぶ必要があるとおっしゃった
ゴリラ研究の第一人者で、総合地球環境学研究所 所長、
人類学者・霊長学者の山極壽一先生を紹介しました。


< 山極壽一先生>

山極壽一先生はサルとゴリラのリーダーシップについて
次のように述べています。


🐵サルの社会では・・・
「上下関係・優劣・勝ち負け」がハッキリとしているため、
「どちらが強いか・弱いか」というルールによって
オス同士の戦いで勝った方がボスになり、腕力で決まるそうです。


食事のシーンでは・・・
エサを巡って争いが起こったとき、
強いものが奪い取り、弱いほうは退き
自分を守るために我慢をするそうです。
餌をつかんだサルは奪われないように、
ひとりで食べる自己中心の寂しい食事風景です。


<ニホンザル>

一方、🦍ゴリラの場合は・・・
「愛嬌やユーモア、運を持っているか、信頼できるか」などが判断基準。
リーダーは、メスや子供達など仲間内の推薦で決まる


食事のシーンでは・・・
弱いゴリラがエサを欲しがると、
強いゴリラはエサを分けてあげるそうです。
しかも、食事は向き合って食べ、
穏やかで平和な食事風景です。


また、ゴリラ社会では優劣が無く平等
リーダーは子供同士の喧嘩にも勝ち負けを付けず
平等に仲裁するそうです。


ゴリラのリーダーは・・・
メスや子供など弱い者に寄り添い、
お互いの関係や状況を頭に入れて振る舞うそうです。
ゴリラ社会はのリーダーは”優しさと気配り” なのです。


<ゴリラの親子>


群れの最高位に着いたサルとゴリラの違いは・・・
サルは腕力でボスになり、
ゴリラは優しさと気配りでリーダーになる。


山極壽一先生曰く・・・
「“サル化”している現代社会の中で、
人間には“ゴリラ的リーダーシップ”が求められている」


“強い男は強さを抑えて、弱いものに寄り添っていく”
”リーダーシップとは優しさと気配り”


人間社会も・・・
愛妻家に相応しい条件が ”思いやり・優しさ” 
”男らしさは優しさと思いやり”


納得できますね。



参考:
・ログミーBiz
・日経ビジネス
・経済界ウェブ
・売新聞オンライン

挑戦こそが宝。失敗こそ財産~切腹最中~

「切腹最中」
こんな恐ろしい名前の最中をご存じでしょうか。
「切腹」って、あの切腹です。


東京の新橋駅から歩いて10分。
主人の会社の近くにある老舗和菓子店「新正堂」


「新正堂」は大正元年創業。
今年で創業112年の老舗和菓子店です。
忠臣蔵の起源と言われる赤穂藩主浅野内匠頭が切腹した
田村邸跡に店を構えています


忠臣蔵をモチーフにしたこの「切腹最中」は、
お腹からあんこが飛び出しています。
1日7,000個も売れる人気商品だそうです。



主人の会社ではこのお菓子をお詫びの品として
取引先やお世話になった方にジョークで、
おみやげとして差し上げることがあります。


切腹とは昔の武士の罪の償い方なので、
お菓子の意味を伝えないと「何なのこのお菓子?」なんて言われそうです。
ですから・・・

特別な方にはこのお菓子を差し上げるのは躊躇します。


ところが、なんと!
2024年1月から最中に巻いている「切腹」の帯を、
「感謝」の帯に変えてくださるとの朗報。
感謝の気持ちを込めて差し上げるにはベストのお菓子。


早速、お正月の1月5日、お店に行ってみました。
店内にはお客さんが4人いました。


ありました~~! 
感謝最中(感謝切腹最中)



<新年のおまけ?のマグネット>

お店を出る時『江戸楽』という雑誌が目に留まりました。


そこには新正堂の3代目社長さん渡邉仁久さんの手記
「挑戦こそが宝。失敗こそ財産」が載っていました。



抜粋してみます。


3代目の渡邉社長さんは、23歳で婿養子で家業を継いだそうです。
服飾デザインの道から和菓子の世界に飛び込んだので、
始めは右も左もわからず、製菓学校で基礎から学んだそうです。


120もの新商品を開発しましたが、
どれもヒットにはつながらなかったそうです。


「やりたいこと思ったことはためらわずにやれ。
失敗しても、また挑戦すれば良い」

と先代さん達が支えてくださったおかげで
「切腹最中」が生まれたそうです。


「縁起を重んじる和菓子に『切腹』なんて名前はもってのほかだ、売れるわけがない」
と、119人中118人が大反対したそうです。


オフィス街のイメージが強い東京新橋に、
忠臣蔵の浅野内匠頭切腹の地と言う歴史を
後世に伝えたいと言う強い信念で生み出された『切腹最中』
2年半説得して強引に発売にこぎつけたそうです。



切腹最中が大ヒット!


歴史ファンやビジネスマン、外国人観光客、SNSを見た若者が来店。


切腹の地で赤穂浪士のイラストと家紋をパッケージに
忠臣蔵の四十七士それぞれを武者絵で描いた「義士ようかん」も有名です。


4代目の渡邉仁司さんのモットーは・・・
「変化を恐れず何事にも『挑戦』し、『美味しい』を追求してゆく事」

世間は狭いと言うけれど、こんなことってあるんだ!

年賀状を書かない人が年々増えているとか・・・
我が家でも、確かに以前の半分以下になりました。
「お年賀は、今年で失礼します」とわざわざ書いてある賀状もありました。


ところで・・・
娘達も新年の挨拶はLINEですることが多いそうです。
次女が久しぶりに親友と電話で話していた時のことです。


友人「夫がね、新年早々バイクで事故しちゃったのよ」
「右折でUターンする車の側面に激突しちゃったの」

次女「なんと! 新年早々にね。怪我したの?」


友人「足を骨折して、手術して松葉杖。でも元気なのよ」

「それがね・・・事故した所があなたの家の近くなの」

次女「あら~~うそ~~なんでまたこんな所に来たの?」


友人「仕事の都合で、バイクの時はそこを通るみたい」


次女「それで相手の方は怪我したの?」


友人「怪我はしなかったそうだけど、車はメチャメチャらしい」


次女「どっちが悪かったの?」


友人「8:2で主人が悪かったみたい。ちょうど保険が切れていて最悪よ~~」


次女「ひぇ~~、事故する時ってそんなもんだよね」

「実はね・・・私のお義兄さんも新年に事故したのよ」


友人「あらま~~」


ここまで話した時・・・
娘は・・・おや?? どこかで聞いた話・・・



次女「相手の車の人は日本人の男性?」

友人「いいえ、韓国人の男性だったそうよ」


次女「名前は何と言う人?」


友人「確か・・・〇さんと言ってた気がする」


次女「あら~~その人、お義兄さんだ! お姉さんの旦那さんだよ!」

友人「うそ~~お姉さんの旦那さん?」


今年は新年早々、能登半島地震災害、航空機衝突事故
そして、我が家は交通事故
今年は、どんな歳になる?
気を付けなさいってことだねと話していた。


世間は狭いというけれど・・・狭すぎです。
長女や婿さんにもこの話をすると、みんなで大笑になった。
「笑う門には福来る」


婿さんの車は未だ修理から戻って来ない。
大事故だったのに、相手の方は片足骨折だけで済んだ。
新年早々に、友人の夫と婿さんは「厄落とし」したんだね。


その後すぐに友人から次女に電話があった。
「私、恥ずかしいことしゃった!
お義兄さんに文句を言って暴言ぶつけちゃってた。
お姉さんにも謝っておいて・・・」


<厄落とし祈願>

私を支えてくれる人

私のLINEに毎朝、飛び込んでくる『今日のメッセージ』
毎日毎日、友人が送ってくださる。
メッセージはナポレオン・ヒルの名言。


あまりにその日その日に相応しいメッセージに
私は思わず涙することもあります。


1月16日にはこんなメッセージが届きました。

2024年1月16日(火)

【今日のメッセージ】


あなたから親切にされた人は

いつかその恩義に応えようと思っているものです。

人間の基本的な特徴は自分が扱われたのと同じように

相手に応えようとすることです。

あなたの周りの人はあなたから受けた親切を

ずっと覚えているものです。


そして、いつの日かあなたが助けを必要とする時、

まったく思いがけないところから援助の手が差しのべられるのです。

あなたが差しのべる親切や好意は、

スケールの大きなものであるとか高価なものである必要はありません。


親切なひとこと、心のこもった挨拶や

大好きな計画の手伝いをすることによって、

相手に“この人は自分のことを気にかけてくれている。

いつでも手助けしてくれる人だ”という印象を与えるのです。


明るく熱心に見返りなど期待せずに誰かを助ければ、

代償の法則によってその相手はあなたに借りができたと思うのです。

─────

今日も一日、元気でお過ごし下さい🎵

勇気づけてくれ励ましてくれる言葉、
なるほどと思ってしまう言葉、
戒めや反省させられる言葉も投げかけてくださる。


なぜこの方は私に今必要な言葉を知っているのでしょう・・・


無邪気な笑顔をくれる孫や
私を気遣ってくれる夫や子供達も・・・
私を信頼しきっている高齢の母も・・・
遠くにいらしてお話ししたことのない方も・・・


私を支えてくださっている。



それに・・・
毎朝、読んでいる書籍からも
勇気をもらい励まされ感動させられることもあるんです。


私は多くの人や物に支えられています。


でも・・・
もしかしたら・・・
私故に傷つき、私を嫌っている人もいるはず、
顔を見たくも会いたくもない人もいるかもしれない。


だけど・・・
たとえどんな人であろうとも、
私を支えてくださっている人だから・・・私の大切な人。
そのような方が私を成長させてくださるのです。


だから・・・
相手の人が私に対してどのような態度をとったとしても
私は・・・

許して行こう・・・
常に誠実でいよう・・・
優しさや思いやりで尽くして行こう・・・
親切なひとこと、心のこもった挨拶を投げかけて行こう・・・
変わらずに愛して行こう・・・

常に笑顔で感謝でいよう・・・



参考:
オリバー・ナポレオン・ヒルは、

アメリカ合衆国の自己啓発作家。
成功哲学の提唱者の第一人者の一人であり、
『思考は現実化する』の著者。

美しい心情に呼びかける

高森顕徹さんの著書の中に
明治33年に亡くなられた博多の万行寺のご住職のお話があります。
近代の名僧と言われるそうです。
だいぶ古いお話です。

ある夜、師の寝室に強盗が押し入り

「金を出せ!早く出さぬと殺すぞ!」と。

                                                     「金は床の間の文庫の中にある」

静かに師が答えると

強盗は文庫を抱えて急いで立ち去ろうとしました。

「待ちなさい・・・」

                                                     「何か用か?」

にらみつける強盗に師はおだやかに言いました。

「実はその金はのう、仏様からのお預かりもの

本堂に行って、一言お礼を言ってから帰りなされや」

                                                      すると泥棒は素直に本堂に行き

頭を下げて帰って行ったそうです。

                                                        やがて、師に警察から呼び出しがあり

あの犯人が捕らえられたのです。

「金品を取られたならすぐに届けてくださらないと困ります」

                                                 「いや、盗られた覚えはありませんが…」

「そう言われても犯人がはっきりと白状しています」

                                                      「それは何かの間違いでしょう。

確かにある晩、金が欲しいと言ってやってきた者はいた。

だが、その人には仏様にお礼を言って帰りなさいと

与えはしたが盗られたのではない」

                                                            やがて、刑を終えて出所した泥棒さんを師は

「因縁のある男だ、私の寺の会計係にちょうど良い働いてもらおう」

身を引き取ったのです。

                                                        感激した彼は立派に更生し

生涯一度のミスも犯さなかったそうです。

このお話とよく似たお話があります。
ヴィクトル・ユーゴーによって1862年に出版された
有名なフランスの歴史小説
『レ・ミゼラブル』です。


この二つのお話は何を言いたかったのでしょう


人をごまかすような人間にも良心があります。
相手に心から信頼され、
正直で公正な人間として扱われると、
不正な事は出来ないものです。


たとえ相手がどのような人であっても
受け止め認め、許してあげる・・・

“人の美しい心情に呼びかける”


人間の愛と信頼関係は、
どんなに不条理な世界であっても、
人と世界をも変えることができる

著者の高森顕徹さんもヴィクトル・ユーゴーそう言いたかったのでしょうか・・・