天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

愛を着せ愛を食べさせる


「お父さん!トマトの苗木を
プランターに植えるから手伝ってね」
主人が娘から頼まれ、
小さなミニトマトの苗木を植えていました。
孫が幼稚園からいただいてきた1本の大切なトマトの苗木。
毎年5月には、いただいてきたミニトマトの苗を
主人は大事に植えてあげています。


「たくさんトマトがなりますように・・・」
「美味しくなりますように・・・」


松本美千代さんのトマトにまつわる
エッセイを抜粋して紹介します。

30年近く前、

長男が幼稚園の年長組だったころのことである。

長男はトマトが嫌いだった。

トマトをどのような料理にしても食べなかった。

困ったものだと思いつつ、

でも、トマトを食べなくったって死ぬわけじゃないしと軽く考えていました。

                                                             ところが、                                   「小学校の給食では、出されたものを全部食べ終わらないうちは

外に出してもらえない、給食が原因で学校嫌いになることもある」

と聞いて急に不安になった。

                                                        なんとかしなければと料理法を勉強したりした。

あせって押しつければ押し付けるほど、

長男の拒絶は激しくなった。

反抗的な長男を、この先どう育てていけばよいのか、

途方にくれ、思い余って兵庫県の母に手紙を書いた。

今は、母から返事が来たかも覚えていない。

                                                      その夏、息子を連れて兵庫県の両親のもとに帰った。

「明日の朝は、おばあちゃんと一緒に、 

畑のキュウリやナスを取りに行こう。   

せやから、5時に起きや、起こしてあげるさかい」                                と母は長男と約束した。

                                                       次の朝、5時に起きて、早朝の霧の中を畑に行った。

畑には数種類の野菜が一面に細かい水滴を付けていた。

ナス、キュウリ、ピーマン、インゲンなど

もぎ取ってかごに入れた後、

母は長男をトマトのそばに連れて行った。

一本の枝に白い布切れが結び付けてあった。

その枝には見事に熟したトマトが生っていた。

母はそれを指さして言った。

                                                       「これ、チョーちゃんのトマトやで」

「おばあちゃんはなあ、毎日毎日お水をやったんやで。

水をやりながら毎日毎日、お願いしたんやに。

もうじき九州からチョーちゃんが来ますさかい、

どうか赤こうなってください。

うんとおいしくなってください、言うて、

トマトの頭なでて、お願いしたんやに」

                                                        母は長男をその枝の前に座らせ、

「見てみな、真っ赤や、おいしいよ。                                      びっくりするほどおいしいよ。

さ、トマトさんにありがとうと言うて、いただきましょうか」

母は拝むしぐさをしてからトマトをもぎ、                                     エプロンで拭いて長男に渡した。

                                                          なんと彼はトマトにかじりついた!

「どうやおいしいやろ?」


「うん!」

長男はヘタの近くまで食べてしまった。                                    信じられないことだった。

                                                        「うまく小細工したね」

と、畑の帰り道で私が母に言ったら、

母は顔をし引き締め、

「あんた、私がうそついたとでも思っとるん?」

と、私に目を向けた。

                                                         「そうなんじゃないの?」                                             


母は立ち止まり、怖い顔で

「これだけはよう覚えとき、                            大人は騙せても、子供は騙せるもんやない」

                                                         以後、二人の息子を成人させるまで、

この言葉を思い出さざるをえない場面に                       何度ぶつかったか知れない。

                                                     母は毎日毎日お願いしたそうである。

私たちの帰省に合わせて、赤くなるよう、

小指の先ほどの実に目印を付けて、

祈ってきたという。


あの時、

4人の子供を育て上げた母から長女である私へ、

大切なものが渡されたような気がする。

                                                          その長男も34歳になって、

今では二人の子供の父親である。

「トマトは栄養があるんだから残してはダメだよ」と、長男が子供たちに言いながら、

トマトを食べている。

『愛を着せ愛を食べさせる、

祈りを着せ祈りを食べさせる』              

                                            『子育てはいかに人を愛せるようになるかという

訓練の場であり、子育てを通して

親の愛に通じる自分を育てることでもあります』

                                                        『子育ては親育て』


子育ては、親の自己犠牲と奉仕が伴う聖業であるとも言います。


ただ食べさせる、ただ着せる、                            ただ眠らせる、ただ教えるというものではなく、


子育ての一つひとつの中に、                             『愛を着せ愛を食べさせる、祈り着せ祈りを食べさせる』                という親の祈りと感謝がなければならないと思うのです。


今、二人の娘たちの子育てを見守りながら、                                                                   ふとそんな言葉の重みを感じる今日です。