天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

「母の日」の意外に知らない悲話とは?


5月の第2日曜日(5月8日)は、「母の日」
日本だけじゃない、

アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国も、
5月の第2日曜日が「母の日」だそうです。


カーネーションやプレゼントを送り、
お母さんに感謝する日です。


韓国では、毎年5月8日が「父母の日(両親の日、親の日)」
韓国語で「オボイナル(어버이날)」といいます。
儒教観に基づく「親孝行」の考えが強いため、
同じ日に両親に感謝の気持ちを伝えます。
カーネーションを贈る習慣は同じです。


ちなみに中国では「父の日」がないそうです。


「母の日」その起源や由来を調べてみました。
すると、驚くべき事実がわかりました。


1905年5月9日、
アメリカで “アンナ・ジャービス” という女性が、
亡き母
(アン・ジャービス)を追悼するため、
母親が好きだった白いカーネーションを、
追悼式で教会の祭壇に飾ったことが

「母の日」の始まりだそうです。


<アンナ・ジャービス>


アンナは「母の日」の創設者として有名になりました。


母が健在であれば赤いカーネーション
亡くなっていれば白いカーネーションを飾り、
現在のように母の日にはカーネーションを
贈る習慣が生まれたそうです。


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アンナの母である “アン・ジャービス” は、
どんな女性だったのでしょうか?


アンは牧師の夫を早くに亡くし、
戦争や病気で8人の子供を失い
残った2人の娘を、女手一つで育て上げた強い母であり、
社会活動家でもありました。


その活動は病気や貧しい人のための募金活動
衛生状態を改善し、病気治療と母乳の汚染防止を通じて、
乳児死亡率を低減する目的とした活動をしました。


また、1861~1865年の南北戦争中には、
中立を宣言し、南北双方の負傷兵を看護したり、
双方の敵意をなくす活動もしました。
女性の地位が低かった当時のアメリカで
社会改革にも貢献しました。


さらに敬虔なクリスチャンで、
日曜学校の牧師を26年間も務めたそうです。



このような立派な母親のアン・ジャービスの追悼式で、
娘アンナの行為が、社会的にも注目を集めたのでしょう。


「母の日」はアンナが母を大切に想う気持ちから生まれ
カーネーションの花言葉が「母の愛」「純粋な愛」
母性愛を象徴するものだったことも

影響しているのではないでしょうか。



ところが、20年後の1923年・・・。
アンナは、
「母の日」が商業的な日に変貌したことに
不満を覚え、
「母の日」を厳粛なルーツに立ち返らせるための
活動を始めました。



1925年、
「母の日」を金儲けに利用する人々を攻撃したため、
結果として彼女は、

治安を乱す行為を理由に逮捕されてしまいます。
アンナは経済的にも肉体的にもすべてを失ってしまったのです。


母の日の創設者が、
結局それを破壊する人物になってしまった
のです。


アンナは何を言いたかったのでしょうか?



きょう、お母さんにカーネーションや立派なプレゼントを
差し上げられなかった人は、決して悲観しないでください。




母親というものは、いくつになっても
「母の日」にカーネーションやプレゼントも
子供に期待はしないものです。


親は常に、与えられることより与えることを願い、
子供たちの健康と幸せを願っているからです。




立派なプレゼントより、電話やメールでの
「元気でいるよ」「いつもありがとう!」

の一言でも嬉しいものです。