天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

三万円分の焼き芋の行方は・・・


大切にしているある本の中に
おもしろいエピソードを発見しました。
このエピソードについては後半で検証してみたいと思います。

観光シーズンになると、

無断でお寺の境内に屋台を開く焼き芋屋さんがいました。

お寺としては迷惑千万です。

                                                   ある日、その焼き芋屋さんが「しゃば代です」と言って、

事務所に3万円置いていきました。

おそらく断りもなく屋台で商売していたので、

クレームが来ないうちに置いて行ったのでしょう。

                                                     どうしたらよいかわからず、

お師匠さんに持って行くと、

お師匠さんはこう言われました。

                                                    「よし、わかった。3万円分の芋を買ってこい」

                                                     3万円分の焼き芋は、

両腕をまわしてかかえるくらいの分量があって、

しかもとても熱いので、持って帰るのが大変でしたが、

これもお師匠さんの人情でしょう。

                                                      そんな懐の深いお師匠さんのもとで、

修業をさせていただいたから今があるのだと、

全てのご縁とご恩に心深く感謝しています。

                                                       ちなみに、師匠は焼き芋が大好物でした。

その3万円分のお芋さんがどうなったか?

皆さんのご想像におまかせします(笑)。


これは、塩沼亮潤大阿闍梨さんの著書
『人生で一番大切な三つのことば』の中にあるお話です。


3万円分のお芋はどうなったのか
「ご想像におまかせします」と書いてありますが

ちょっと気になります。
はたして、どのようになったのでしょう?




お師匠様はいくら焼き芋が大好物でも、
このような情の深いお師匠様なら
たぶん、弟子たちに、
あるいは参拝に来られた方々に、
全部振舞ったのではないでしょうか。
お師匠さんは焼き芋1本も口にすることなく・・・。


昔、物がない貧しい時代の母親は、
自分は食べなくても食べたふりをして、
子供たちに食べさせたと言います。


親とはそういうもの・・・。
(リーダーや責任者も親と同じですね)


しかし、最近は、そうではなさそうです・・・


物が豊かにあると言うのに・・・
親は自分が食べても子供に食べさせないで、
幼い子供が亡くなるという残酷な胸痛い事件がありました。



ところで・・・
もう一つ気になったのは
お寺の境内で商売をしていた焼き芋屋さんの行方です。
その後の焼き芋屋さんはどうなったのでしょう?


①再びお寺の境内にやって来て変わらず商売をした・・・
②二度とお寺にはやって来なかった・・・


これについて主人の回答は①
私は②です。


お釈迦様はこう教えています。
「憎しみは憎しみをもってしては永遠に消えない」

「怨みを捨ててこそ怨みは静まる。これは永遠の法である」


また、韓鶴子女史は、こう言いました。。
「許して愛しなさい、一つになりなさい」
「武器を溶かして鋤(すき)や鍬(くわ)を作りなさい」


戦争も互いに武器を持ってしては拡大するだけ、
憎しみには憎しみで、怨みには怨みで返しても、
その先には悲劇しかありません。


「仇討ち」とか「復讐」は、
たとえ相手を打ちのめしても、
怨讐感情は消えるどころか、傷となって残り、

むしろ拡大され、後代にまで永遠に残るものです。


イエスは言いました。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」


相手に愛を持って向かったとき、治めることができ、
愛に触れて始めて憎しみや怨みが解けると言っています。


これは宇宙の原理原則。


なぜなのでしょう・・・
どのような人にも、「良心」
(美しい心情)というものがあるからだと言います。
どんな悪党さんにだって「良心」があります。
誰も美しい心情をもっているのです。

「一寸の虫にも五分の魂」です。

*良心とは:

道徳的な善悪をわきまえ区別し、

正しく行動しようとする心の働き。

ところで・・・
あのお芋屋さんの行方はどうなったのしょう。
お師匠様は「お芋屋さんの美しい心情」
に、

呼びかけたのでしょうね。

もし、機会がありましたら塩沼亮潤大阿闍梨さんに
伺ってみたいと思います。