天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

死と向き合う荒行~千日回峰行:酒井雄哉~

仏道の中でも最も厳しいとされる、
比叡山・延暦寺の荒行
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)
7年(1000日)がかりで約4万キロを歩く
最大の難関は700日目の「堂入り」だという、
9日間断食、断水、不眠、不休を続け、
行者は死と向き合う荒行だそうです。


この千日回峰行を2度満行したという
天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の

酒井雄哉(ゆうさい)さん。


2度満行した人は、1000年を超える比叡山の歴史の中でも
3人しかいないそうです。

この酒井雄哉さんとはどんな人なのでしょうか


1926年大阪市で生まれる。

旧制中学卒業後、慶応義塾商業学校に入ったが、

1944年、予科練に入隊。


特別攻撃隊員として終戦を迎えた。

戦後は様々な職業を転々とし、多大な借金を抱える。

33歳で結婚するが、2か月で妻が自殺してしまう。


様々な悩みを抱え1965年に得度し、

39歳で比叡山延暦寺に入る。


1973年47歳で千日回峰を開始し、

1980年10月に満行。


更に半年後に2度目の千日回峰に入り、

1987年7月、60歳という最高齢で

2度目の満行達成。

「すべてが仏となる」という境地に達した。

仏教伝道文化賞(功労賞)受賞。


比叡山飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。

数多くの著書は、生き方の指針や人生の知恵を与えてくれます。


“生き仏”と称され、2013年9月、87歳で入滅。


 


この千日回峰行の様子は1979年1月
NHK特集『行~比叡山・千日回峰~』で放送された。


実は、このNHKの番組を私も観て、
強烈な印象を持ちました。
長女がお腹にいた時でした。


2度目の満行を達成した、後にいただいた、
酒井阿闍梨さんのサイン入り
写真集『道遙かなり』を大切にしています。
この酒井雄哉阿闍梨さんのご縁なのか
お坊さんの先祖の導きなのか、


私が信仰の道に来るきっかけにもなったような気がします


また、この同じTV番組を見ていた人が他にもいました。
酒井雄哉師の千日回峰行を、小学生の時に観て、
千日回峰行に憧れ、仏門に入った方。


塩沼亮潤(しおぬま りょうじゅん)大阿闍梨です。


彼もまた、大峯千日回峰行を満行したのです。


<塩沼亮潤師については次回に続きます>


参考抜粋:
酒井雄哉大阿闍梨の壮絶な荒行と不思議な体験
著書『今できることをやればいい』を
YouTubeからお借りしました。
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酒井雄哉大阿闍梨

①大阿闍梨 酒井雄哉 比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者が語る不思議な体験



【引き寄せ文庫】毎日を幸せに暮らすための60のヒント。天台宗大阿闍梨・酒井雄哉。本の要約