天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

お正月の風物詩変わりましたか?


「知らない人から褒められたよ」と、
主人が言いました。
いったい何を褒められたのだろう?


主人の話では、
元旦に掲げた日本の国旗を見た
見知らぬ老人が話しかけて来たそうです。


「いつもお宅は祝日に国旗を揚げて感心ですなぁ~」
そう言われ 、二人は国旗談義になったそうです。


ずいぶん昔(昭和の時代)、私たちが子供の頃は、
どこの家でも祝日には国旗を掲げていました。


1990年代末に「君が代」「国旗掲揚」
教育の場で騒がれたことがありました。
それ以来、家庭から国旗が消えていったようです。


しかし、1999年に「国旗及び国歌に関する法律」で、
国旗・国歌として法制化されたのです。


日頃の生活では、馴染みが薄い国旗や国歌も
ワールドカップやオリンピックなどの国際試合の場では 、
国旗掲揚と国歌斉唱が日本国民の注目の的になります。


私が見たアメリカでは、毎日いたるところに
国旗(星条旗)が上がっていました。
特にデパートやホテルでは他国の国旗も
並んで掲げられ、美しくなびいていました。


その理由を尋ねると外国からのお客様を
歓迎するという意味があるそうです。


アメリカで日の丸を見たときは感動しました。
何故か日本を懐かしく誇らしく思いました。


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団塊世代の主人と見知らぬ老人の新春談義も
「時代が変わりましたね~」


「昔は、愛国心を育て、国運をあげるために
国旗を掲揚する必要あると思った時代がありましたがね~」


「マンション生活では、掲げる場所がありませんよ」


「国旗だけでなく、門松やしめ飾りを
飾るところもないですからね」


「孫は、凧あげやコマ回しなんかしませんよ、
家でゲームばっかりしてますよ」


「時代が変わったってことですよ」


お正月の風物詩を懐かしく話して
老人は立ち去ったそうです。


実は我が家も、いつからか忘れましたが、
国旗が玄関先から庭のフェンスに移っています。

東京の初日の出スポット


東京の“初日の出スポット”に行ってきました。
気温は0度、2歳の孫の手を引いて、

家族みんなで高台を目指します。
自宅から徒歩で7分。
東京都稲城市立公園「みはらし緑地」



高台からは西側に多摩市と富士山が見渡せ、
東側には新宿副都心の高層ビル群スカイツリーも見える、
絶好の眺望ポイントです。


日の出10分前に高台に着きました。
そこはすでに黒山の人達でいっぱいでした。


今年も晴天。
たくさんの目が、かたずを呑んでその瞬間を待ちます。
次第に明るさを増し、陽光が差し始めると、
あちこちからカメラのシャッター音。


「出た~~!」と誰かが叫びました。



皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます

感謝の三段階って?


今年も残すところ24時間を切りました。
新しい年に向けてカウントダウンが始まりましたね。
今年2021年は、あなたにとってどんな年でしたか?


「う~~ん、今年は良くなかったな~~」
「今年は最高で~~す!!」
「まあ、良かったり悪かったりですワ」


ひとそれぞれ、十人十色ですね。
”人生いろいろ”なのです。


感謝の三段階ということをご存じですか?
一段階は、良かったことに感謝。
二段階は、当たり前のことに感謝。
三段階は、良くないこと、嫌なことに感謝。


誰も嬉しかったことや、良かったことには感謝できますが、
当たり前のことや、特に悪かったことや嫌なことに、
感謝することは簡単ではありませんね。


日常で当たり前のこと、
例えば、朝の目覚め、いっぱいの水、家族の笑顔・・・。
道端に咲いた一輪の花、瞬く星・・・。
もう数えきれないほど、感謝すべきことがあふれています。

地球星は、神様の芸術品なのです。
でも、残念なことに感謝すべき「当たり前のこと」を、

見過ごしています。


どんなに小さなことにも感謝し、
当たり前のことにも感謝する。
そしてさらに、嫌なことも受け入れて、感謝する。


「ありがとう!」「感謝します!」と言っただけで、
素晴らしい出会いや環境を引き寄せることができるのです。

人生は好転するというのです。


何をやってもトントンうまくいく人は、
いいことがあったら感謝するだけでなく、
嫌なことにも感謝し、感謝の多い人だと言います。


当たり前の事や嫌なことにも感謝する、
感謝の度合いが人格成長と幸福のバロメータである
と思うことがあります。



どんなに悲惨な環境にいても、
感謝している人は幸福なのです。


2021年がたとえ悪かったとしても、
良かったとしても
終わりよければすべて良し。
今年も残りわずか、感謝感謝で新年を迎えましょう!


「どんな不幸を吸っても、

吐く息は感謝でありますように、

全ては恵みの呼吸ですから」

(河野進)

「いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事に感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって、

神があなたがたに望んでおられることです」

(テサロニケ人への第一の手紙5.16~18)


今年もブログ「天国への道2」を
お読みいただきありがとうございました。


よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。

バタバタ忙しい師走~お正月の準備完了!~


12月の別名、師走(しわす・しはす)
12月は1年の中でバタバタと忙しく、

気持ちもせわしい月ですね。


陰暦12月、家々で師(僧)を迎えて
読経などの仏事を行うために、
師が忙しく東西を馳せる月という意味で

「師馳す(しはす)」というのだそうです。


フラワーアレンジメントは、
11月から12月が一番忙しい季節です。


【クリスマスツリー・クリスマスのアレンジ花】
常緑樹が使われるツリーは「永遠の象徴」を表現。
キリスト教では「神の永遠の愛や生命を象徴」しています。

 



【クリスマスリース】
リースは輪のかたちであるため「永遠性の愛」を意味します。
実や果実をあしらって豊穣や豊作祈願。
常緑針葉樹を用いて魔除け。





クリスマスが終わったら、すぐにお正月の準備です。


【しめ縄・しめ飾り】
自宅の神棚と玄関に飾るのは、
お迎えするのに相応しい神聖な場所であると

年神様(としがみさま)に示すためなんです。


【門松】
年神様(としがみさま)が、
迷わずに家へ来ていただくための目印。
☟ミニ門松
"自然環境に触れあえる緑化の推進と、
心身共に健やかに過ごせる街づくりをしている”
「いなぎグリーンウエルネス財団」の方からご指導いただき、
初めて挑戦してみました。
東京都稲城市内にある竹・松・梅など、全て稲城産だそうです。

【お正月の生花アレンジ】
お正月の縁起物を飾る時期は、
『正月事始め』の12月13日から12月28日までの間に飾る。
12月29日は『二重苦』と読めるため12月29日と、
一夜飾りの12月31日は飾らない。


これでやっと、お正月のお飾り、お花の準備は終わりです!


良いお歳をお迎えください!
来年も良い歳でありますように!

絶望を超えて道を開く~ヘレンケラーと岩崎武夫~


1934年12月、

アメリカコネチカット州のヘレンケラー宅に、

1人の盲人の日本人男性が訪れた。

彼、岩崎武夫は視聴覚障害者の救いの道を開くために、

「日本に来てほしい」とヘレンに切願した。


ヘレンは心を動かされたが、

直ぐに行けない事情があった。

恩師であるサリバン先生が

瀕死の床にあったからです。


悩むヘレンにサリバンは毅然と言った。

「日本に行ってあげなさい。

私があなたに教えてきたのは、

全世界の障害のある方々を幸せにするためです」


ヘレンは、サリバンの死後、

「先生に枯れない花を手向けよう。

先生の奉仕の生涯を自分が引き継いで行こう」


1937年4月、ヘレンは日本に着いた。

「奇跡の聖女」は日本で大歓迎を受けた。


岩崎はヘレンの来日を通して福祉法案を成立させ、

危機的状況にあった日米関係を回復しようとした。


しかし、太平洋戦争によって、道は閉ざされた。


絶望に打ちひしがれた岩崎の元に、

戦争終結と共にヘレンより手紙が届いた。


「海の上でどのような災いがあろうとも、

海の底を通してつながっている私とあなたの信頼は、

切断できません。――日本に行きます」


ヘレンは1948年、

戦争で荒れ果てていた日本に来て語った。


「日本は必ず再生できると信じています。

人間には試練があります。

この試練を克服するためのただ一つのもの、

それは信念です。

戦争がもたらした困難や

利己主義などと言ったものは、

簡単には拭きれません。


しかし、私たちが確固たる信念を持つならば、

未来において、子孫は必ずや私たちの

先見の明に感謝するでしょう。

人々に力を貸し、

その不幸な境遇を乗り越えさせる信念こそ、

今、最も必要です」


ヘレンが最も感動したのは、

原爆が投下された広島の市民だった。

「多くの苦しみがあったのに、

日本人は11年前と同様の愛情を与えてくれた。

私は広島と長崎を一生忘れない」


(中略)

ヘレンは帰国を前にして、特別記者会見で、

世界に向けて声明を発表した。

「日本全国の盲人団体が結束して

政府の施策を講演すること。

厚生省と文部省は障害者の保護に

積極的に協力すること」


ヘレンの声明は、日米指導者と国民を動かし、

ついに翌年、法案は成立した。


この時、福祉法案成立に全生涯をかけた岩崎の心に、

彼が19歳の時、

網膜剥離で失明し失意のどん底で出会った

イエスの言葉が去来した。


ヨハネ9章1節にある、

「先生、この人が生まれつき盲人なのは、

誰かが罪を犯したたためですか。

本人ですか。それとも両親ですか」


イエスは答えられた。

「本人が罪を犯したのではなく、

また、両親が犯したのでもない。

ただ神のみわざが彼の上に現れるためである」


ヘレンと岩崎の信念と和合で、

福祉法案成立の「神のみわざ」が実現したのである。

1954年、岩崎は56年の生涯を閉じた。


(引用資料は、

その時歴史は動いた、NHK取材班編 集英社)



参考抜粋:浅川勇男著『いのちの言葉』(Sunday世界日報)