天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

ウクライナの血を引く~大横綱「大鵬」~


父親がウクライナ人、母親が日本人
ウクライナと日本のハーフ。
昭和の大横綱、戦後最強の横綱と呼ばれ
優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録し、
ライバルの柏戸剛と相撲黄金時代を築きました


私が子供の頃、相撲は「柏鵬時代」
国民的ヒーローでした。


この方は誰でしょう?

大鵬幸喜
(本名:納谷幸喜 出生名:イヴァーン・ボリシコ)


大鵬の父はウクライナのハリコフ出身の
「マルキャン・ボリシコさん」
彼は共産政権を嫌って、当時、

日本の治政下にあった南樺太(サハリン)へ亡命しました。
そこで北海道神恵内村出身の「納谷キヨさん」と出会い、

1926年結婚。


幸喜さんは1940年5月29日、
4番目の三男として生まれます。


ソ連の樺太侵攻後、
1943年父は集団帰国命令に逆らえず祖国に戻され、
家族を引き裂かれた母と子供たち
命からがら北海道に引き揚げたのです。


母子家庭は貧しく、母は市場で豆を売り、
大鵬も納豆を売り歩いて家計を支えたそうです。
1956年(昭和31年)巡業に来た二所ノ関部屋に紹介され、
高校を中途退学して入門しました。


母のキヨさんは、子供たちが“白系ロシア人の混血”という理由で
いじめにあうことを恐れ、

父親については固く口を閉ざしていました。
大鵬は3歳まで暮らしたはずの父との思い出がなかったそうです


大鵬が自身の出生と父の存在を知ったのは、
1973年、母キヨさんの死後でした。
キヨさんが大鵬の妻、芳子さんに託した

一枚のセピア色の写真それが父親だったのです。


大鵬は晩年、ウクライナの親の家を訪ね
祖先の土地のを持って帰ったそうです。


ウクライナのハリコフ市に大鵬記念館が建設され。
2013年に72歳でこの世を去りました。
2014年、故郷サハリンに大鵬の銅像が建立されました。


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今現在、大阪市内で開かれている春場所では
ウクライナの血を引いている大鵬の3人の孫
十両王鵬(22歳)、幕下夢道鵬(20歳)、納谷(24歳)が
それぞれ、精いっぱい相撲を取っています。


また、ウクライナ出身の力士
獅司大
(ソコロフスキー・セルギイ)が入間川部屋で頑張っています。


何事にも屈しない!
ウクライナの平和と鎮魂の祈りを込めて頑張ってほしいですね。



参考:
・サンケイスポーツ
・世界日報
・Yahooニュース