天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

悲しい記憶~3.11~

2万2000人を超える死者と行方不明者を出した
東日本大震災
3月11日で発生から11年となりました。
午後2時46分、失われた命に、
各地で鎮魂の祈りがささげられました。


あの日の出来事を誰も忘れません。
東京に住んでいた私達の家族は、幸いにも無事でした。
私は新宿に、主人と婿は渋谷の会社にいました。
交通機関は全てストップしたため、
2時間歩いて帰宅しました。


乳児検診に出かけた娘は、
危うくエレベーターに
閉じ込められるところだったのですが、
ベビーカーを押して1時間歩いて無事に帰宅しました。
食器戸棚からは、数枚食器が落ちて割れただけ。


この日が来ると、悲しい出来事が蘇ってきます。
2011年3月30日 の私の日記より抜粋


************


数ヶ月前に彼は
胃癌の手術をして10キロやせた
「退院したら娘の所で静養するよ」と言っていた。


でも、娘さんの所には行かないで、東京で一人頑張っていた。
昨日、久しぶりにその老人を訪ねて、
私は大きなショックを受けた。


「元気そうで良かったわ。体重も戻ったみたいね」
と私は言った。


でも・・・彼の様子が何だか変・・・。
「娘が死んだんだよ…3月11日の津波で流された…」


私は言葉が出なかった。
仙台に住んでいる次女さんが
今回の津波で犠牲になってしまった。
遺体は見つかったけど集団で埋葬してくださったらしい。
子供さんと御主人は助かったそうだ。


彼が悲しい知らせを受けたのは、大地震の2日後だった。
「駈けつけたくても行けないよ」
「人生ってこんなもんだよ…」
「こればっかりはどうしょうもないから…」
「娘の運命なんだね…」


彼の心が泣いていた。
彼の言葉に私は昨夜も眠れない
きょう、もう一度彼に会いに行ってみた。
持参した白い花束
私の胸元でユラユラ揺れていた。
それにしても本当に悲しいね・・・。