母の偉大な教え~塩沼亮潤~
奈良県吉野山金峯山寺で出家得度。
1300年の歴史上2人目となる
大峯千日回峰と四無行を満行され、大阿闍梨の称号を得て、
仙台市に慈眼寺を開山し住職となった塩沼亮潤大阿闍梨様。
当ブログで塩沼亮潤大阿闍梨様を紹介しました。↓
【大峯千日回峰行を経てたどり着いた境地~塩沼亮潤大阿闍梨~ - 天国への道2】
大阿闍梨様に対して大変失礼になりますが、
温厚な親しみやすいお坊さんのイメージで、
「亮潤さん」とお呼びします。
最近、亮潤さんの著書『寄りそう心』を読ませていただきました。
凄まじい荒行をされて悟った境地や名言を教えていただくことは、とてもありがたいことです。
「偉人の母」という言葉がありますが、
亮潤様のお人柄を知るほどに、
背後にいらっしゃる、お母様とお師匠様にも、
感心させられます。ご立派な方です。
お祖母さんとお母さんの3人の家庭で育ち、
お母様について語っている部分を抜粋しました。
子供のころは、いたって普通の子でした。
ただ、とても貧しい家庭に育ちまして、
母親からいつも言われていた言葉がありました。
「お前がどんなに偉くなっても、人の下から行きなさい。
みなさんにお仕えさせていただくという気持ちだけは
忘れてはいけません」
ということでした。
「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ってわかるか? 」
「ううん、わかんない」
「人はどんなに偉くなっても謙虚に、人の下から行きなさい。わかったか」
「うん」
「絶対に目上の人に口答えをしてはいけませんよ」
と言われていたので、
お坊さんの修行に入ってから理解できない、
納得できないことを言われたとしても、
とりあえず「頑張ります」と言って、
「理解できなから私はやりたくありません」
「納得できないのでしません」と、いう自分ではありませんでした。
そう思うと、ほかの修行僧よりも自分は幸せでした。
19歳の春、出家の日の朝食後に母は食器を全部投げ捨てました。
「おまえの帰ってくる場所はないと思いなさい。
千日という修行は大変な修行だと思う。
だから砂を噛むような苦しみをして頑張ってきなさい」
と言ってくれました。
(山中で、死ぬか生きるかの状態に陥ったとき、
お母さんの言葉を思い出し)
その砂をかむような苦しみを自分はまだしたことがないと思って、
躊躇なく泥をなめてかみ合わせたら、
「ここでこんなことをしちゃいられない」と、
自分の99、消えかかった情熱がよみがえりました。
「たくさんの人にご恩返しをしないといけないし、
みなさんのお役に立てるようなお坊さんになろうという大きな夢があるじゃないか」
と言うと、目に力が入り、むくっと立ち上がって、
持っていた水も全部投げ捨てて、
ただ山頂に向かって大声を上げて歩き、
小走りになり、やがて走っている自分がいました。
その時、初めて天に向かって暴言を吐きました。
「私に苦しみを与えるならば、もっと苦しみを与えてください。
私は倒れません」
世間的には“大阿闍梨”という称号を得て仙台に帰るわけですから、
普通なら親は喜んで、少しばかりは自慢することもあると思うのですが、私の親は私が帰る前に
「もうすぐ仙台に亮潤が帰ってきます。
修行はしたものの単なる世間知らずです。
どうぞみなさん、亮潤をいじめ倒してください。
20年、30年、40年先を見越してぜひ鍛えてやってください」と、
私の知らないところでみんなにお願いしていました。
そんなことを知らずに仙台に帰った私は
「世間はつらい」と思いました。
けれども、もともとお師匠さんも、
「いいか、『行をして行を捨てよ』という言葉がある。決して行を自慢することのないように」
と10代のころから教えてくれました。
また、仏教の世界でも「修行し抜くと悟る可能性がある。
万が一悟っても悟ったことさえ、修行したことさえ全部捨ててしまえ。忘れてしまえ。とらわれるな」
ということなのです。