天国への道2

🌸4世代10人ドタバタ国際家族が幸せな家庭をめざしてどう生きるか? 日々のエピソードや所感を勝手気ままに書き散らかしていきます🌸

心に鎧を着せない生き方とは?


「孤独は、寂しいものではなく、自分を見つめる大切な時間」
と説いてきた下重暁子さん(作家)。


ところが・・・
人と支え合うことの大切さを
身に染みて感じる出来事があったそうです。


『ずっとひとりが好きだった私が、70代後半に脱いだ心の鎧・・・』
を婦人公論からお借りしました。


<下重暁子さん(撮影:宮崎貢司)>


コロナ禍の最中に、友人たちのありがたみを                     

つくづく実感させられる出来事もありました。

                                        

緊急事態宣言が出される直前の2‌0‌2‌0年4月のこと。

まだ感染が広がっていない軽井沢の山荘で原稿を書こうと、

つれあいが運転する車で東京から向かったのです。

                                                      そうしたら、着いた日の深夜2時頃にものすごい音がして。

「なんだろう?」と飛び起きたら、

隣のベッドに寝ているはずのつれあいの姿がない。

その瞬間、すぐわかりました。                                        「落ちた!」って。

つれあいは寝ぼけて、トイレのドアと間違え転落したのでしょう。

                                                        案の定、ドアを開けてみたら、階段の下に倒れている。

まずい! 

                                                       これは骨折しているに違いないと、

山荘の管理人さんに救急車を呼んでもらい、近所の病院へ。

                                                     幸い、突き指をしたくらいで、どこも折れてはおらず、

応急手当てを受けただけでその晩は山荘に戻りました。

                                                       ところが、翌朝に激しいめまいに襲われ、

大きな病院で検査を受けたところ、

頭を打ったせいで急性硬膜下血腫を起こしていたのです。

                                                         急遽、入院することになったのですが、

コロナの影響で、その瞬間から面会謝絶

                                                     寝間着などの必要なものさえ渡すことができず、

すっかり途方に暮れました。

                                                      さらにもっと困ったのは、私のほうでした。

わが家では日頃から、

料理が趣味のつれあいが毎日の食事をつくっています。

                                                     つれあいが入院している間、                                       自分の食事はどうしよう? と。

そんなことを考えながら、                                        病院で入院手続きを待っていたら、

以前から親しくしている地元のフレンチレストランの

オーナー夫妻にバッタリ会ったのです。

                                                         事情を聞かれたので説明したところ、

「じゃあ、毎日2食ずつ、お届けしましょう」って。

私が料理をしないこともよくご存じなのです。


その日から、つれあいが入院していた5日間に加え、

退院後も毎日2人分を届けてくださった。


なんとお礼を言っていいのか、

本当に感謝の言葉もありません。


また、つれあいの退院後、

私の仕事の都合で東京に戻る必要があったのですが、

彼はまだ運転できる体調じゃない。


困っていたら、知人が新幹線でやって来て、

私たちを乗せて東京まで運転してくれたのです。

地獄に仏ではないけれど、

そのときは本当に人のありがたみを痛感しました。


自分は「ひとり」で生きていけると思っていたけれど、

決してそうじゃない。

「みんなの中のひとり」として、                            大勢の人たちに支えられて生きている。


損得を考えず、

困っているときに手を貸してくれるのが

本当の友人なのだと、

軽井沢での一件を通じて、

あらためて思うようになりました。


思い返せば、若い頃の私は、

心に鎧を着ていたのだと思います。


人前で恥をかきたくない、

自分の弱みを見せたくないという思いが強かったために、

他人に心を開けない。

人間って、誰もが自分のいいところだけを

見せたいと思っていますよね。


でも、いいところだけ見せていても、

決して友情なんて育まれない。

私は、その典型でした。


それが、70代後半を迎えた頃から、

見事なほど、人づきあいがラクになったんです。

きっかけは、2015年に『家族という病』を出版したこと。

それまでは、自分の家族のことを書くのは絶対にイヤでした。

(略)

だから、常に鎧を着て人とつきあっていたんですね。


でも、あるとき、ふと気がついた。

そうじゃない。

私が裸になって、すべてをさらけ出して見せなければ、

私が書いた本なんて誰も読んではくれないし、

そもそも本を書く権利がない。


もの書きというのは、自分をさらけ出す仕事ですから、

恥をかけないなら、いっそこの仕事をやめたほうがいい。


でも、若い頃から書く仕事が自己表現の方法で、

一生書き続けていきたいと思っていたから、

自分の家族のことを洗いざらい書くことに決めたのです。


おかげさまで、『家族という病』は

56万部を超えるベストセラーになりました。

それもこれも、自分の恥をすべてさらして

とことん本音で書いたからだと思います。


そこから、私はガラッと変わったんですよ。

それまでずっと隠してきた部分を、

全部見せちゃえと開きなおったら、

鎧もどんどん要らなくなって、

今ではもはや脱ぐものがないくらい(笑)。


いやぁ、今はものすごくラクですね。

よくこんなに重い鎧をしょって生きてきたなと、

脱いでみて、あらためてその重さを実感できました。

(略)

この年齢になって、

ようやく自然体で人とつきあえるようになりました。


今が一番ラクで自由です。


長い人生の中で、

自分の手の中に残る友だちはほんの一握り。

だからこそ、《人生の宝》として

大事にしなきゃいけないのだと思っています。


参考抜粋:婦人公論.JP
出典:『婦人公論』2022年8月号


<東京:神宮外苑のイチョウ並木:写真お借りしました>