9.11悲劇を忘れない~グラウンド・ゼロ~
世界中が震撼した2001年、
9.11アメリカ同時多発テロ事件から
今年で21年が経った。
20年を経て、歴史に残る悲惨な出来事も
しだいに忘れてしまうもの。
しかし、決して忘れない人たちもいる。
「3.11」と「9.11」は、
私にとっても決して忘れられない日。
<倒壊前のツインビルと自由の女神像>
<倒壊直後の様子>
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私は、9.11の2年後、2003年8月に
ニューヨーク州マンハッタン島の最南端にある
貿易センター・ツインビルの倒壊跡地。
「グラウンド・ゼロ(Ground Zero)」を訪れた。
その当時はここをこの様な名前で呼んでいなかった。
マンハッタン島での宣教活動の帰り道
足を延ばしてここに立ち寄った。
犠牲になった3000名のために祈りたかった。
当時は、瓦礫の山と化した貿易センターツインビルは
すでに撤去されていたが、
跡地はまるで灰色の巨大な工事現場のようだった。
そこに踏み込むことは恐ろしかった。
倒壊現場に隣接している大きな教会があった。
そこにはたくさんの人たちが来て祈りを捧げていた。
グラウンド・ゼロ周辺のウォール街は廃墟と化していた。
ここはかつてアメリカの経済の中心地であったが、
建物という建物にはシャターが降りて、
人も住んでいないような不気味な街だった。
車が走ると土埃が舞いあがった。
2年が経ても当時の爪痕が残る恐ろしい場所だった。
<当時の倒壊現場を視察していた小泉首相と安倍晋三:青沼陽一郎撮影>
その後、私はここには行っていない。
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2022年の現在、
「グラウンド・ゼロ」は、
緑と水の美しい公園に生まれ変わっている。
周辺は素敵なオフィスやショッピング街に変わった。
9/11博物館などを訪れる観光客も多い。
2つの正方形のグラウンド・ゼロは
巨大なプールのような記念碑になり、
滝が流れ込むプールを取り囲む石碑には
犠牲者の名前が刻まれている。
犠牲者のお誕生日には、
花や国旗が捧げられるそうだ。
「グラウンド・ゼロ」は、
アメリカ人にとって追悼の場であり、
テロに屈しない強い決意を象徴する場所である。
<グラウンド・ゼロを望む>
グラウンド・ゼロを覗き込むように
『復活』のシンボルとした超高層オフィスビルが
堂々とそびえ建っている。
「ワン・ワールド・トレード・センター」である。
<グラウンド・ゼロ(中央)とワン・ワールド・トレード・センター(左上)>
<ワン・ワールド・トレード・センター>
ワン・ワールド・トレード・センターは
2006年着工し2014年に完成した。
ミラーガラスで覆われた104階建て。
ミラーガラスには青空と雲が映って自然の中に同化している。
全米一の高さを誇る1776フィート(約541メートル)
“1776”という数字は
米国独立宣言の年にちなんでいるそうだ。
ここに眠る3000名の魂の願いと
ここで叫ぶ平和への祈りは届いているのでしょうか・・・
<全米一の高さワン・ワールド・トレード・センター>
*参考
“グラウンド・ゼロ”は、英語で「爆心地」を意味する語。
強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾や
水素爆弾の爆心地を指す。
従来は広島と長崎への原爆投下爆心地を指していた。
*掲載写真は全てお借りいたしました。
*なお、次回は私のアメリカ体験記 2003年8月14日
『アメリカ宣教活動中に遭遇した恐怖体験
~ブラックアウト(前編・後編)~』を・・・。